弁護士の増員の推進派からは依然として、弁護士の競争による「淘汰」で、良質な弁護士が残るという見方が示されています。この論理に立たずに増員に慎重な姿勢を示すことを、いわば経済的な意味での自己保身とするような主張もみられます。とりあえず弁護士多数社会に放逐し、市民側の選択にゆだねよという方向にとれます。一方で、いつまで続くか分からない「淘汰」の過程での市民の実害、選択の困難さ、一回性の弁護士の仕事の性格などから、この論理そのものが弁護士になじむかでは疑問もあります。あなたは弁護士増員において、この「淘汰」論理は肯定すべきだと思いますか。賛否を明らかにして理由をお書き下さい。弁護士の方とともに、弁護士外の法曹関係者、市民の方のご意見も広く求めます。(最大800字以内、匿名可。所属・職業〈弁護士・司法書士は所属会〉の記載を希望します)
河野弁護士の
https://kounomaki.blog.fc2.com/blog-entry-1335.html?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR2esLccvJ4WmvcGftL-O7usWgUMYkBxCUqOQHtJWX2YONEqcSzxjuuS3bQ_aem_AcmCMo_5j0tpBrDtmk9raEywZnafqkp2P8F5KgeVZSjOUnaykYca610PMpJwZtDDGkbJGIVbUIAzUTHA7l4J_0Fv
「もう一つは、弁護士と関わりがない、ほとんど一回性の関係ともいえる市民に、適正に弁護士を選択することは、そもそも困難なうえに、この「改革」でさらにそれは難しくなり、前記自己責任は依頼者市民にとって酷なものになっている、ということです。」
は、ボクが司法制度改革推進本部事務局にいたころから、一貫して唱えていたことです。
2024年4月21日 1:34 PM | きのした
私は弁護士増員大賛成派ですが、今の政策は、増員も競争による淘汰も、行うべき場面を完全に誤っていると思っています。
私の考えでは、増員の必要場面は司法試験受験者数であり、まずは司法試験段階で徹底的な競争による淘汰をすべきです。それでも、たとえば受験者数倍増に成功すれば、合格率をそれほど上げなくても有能な弁護士が増えるはずです。受験テクニックで受かる人が増えるというなら、そうならないように試験問題を工夫することにこそ全力を上げるべきです。さらにいえば、弁護士は運転免許と同様、年齢制限がないことこそ問題にすべきで、高齢者に限らずたとえば5年ごとに試験を受けさせ、極端に成績が悪い人は資格を停止するなど、あくまでも能力競争により淘汰させるべきです。そのためにも資格試験段階では、法科大学院のような受験障害をなくし、予備試験枠を拡大し、働きながらでも受験できる制度を整え、もっともっと多様で有能な人材に受験機会を与えるべきです。
経済競争で淘汰させてはいけません。この競争で残る輩は金儲けが上手い人だけであり、手弁当で人権や弱者を守ろうとする弁護士がかえって淘汰されてしまいます。また、そもそも不祥事は金儲けのためのコストです。つまり、弁護士の不祥事が増えるのは、金儲けで競争させるからであり、能力で競争させ、就職後の経済的安定をある程度まで保障してやれば、不祥事は減り、かえって国民の利益に資すると思います。
だから、弁護士の収入を増大し、受験生の数を倍増させ、試験や能力競争で淘汰し、プロボノや弱者保護のための活動を希望する有能な弁護士には経済的余裕を与えるような環境を作る政策推進こそが最良の弁護士増員政策だと私は思います。いま進行している政策は、その当事者である日弁連の考え方も含め、この立場に完全に逆行しており、誤っていると私は思います。
2017年3月31日 9:24 PM | 哲学者
会社経営をしている身からすれば、市場原理による淘汰は当然のことである。参入障壁が高い弁護士とは言え、特別扱いすることはおかしいと考える。
では現実社会ではどうであろうか。そもそもその弁護士の能力を依頼人が知りうる状態でなければ、競争原理は機能しない。
裁判あるいは裁判寸前になっている事を顧客には知られたくないため、表にはできない。新たな訴えを弁護士会に起こすほど余裕がないから、大きな金額の詐欺行為か事件放置でもない限り依頼した弁護士を懲戒請求することはない。だから、明らかに弁護士の行動がおかしい事であっても、刑事事件でもない限りその名が外に出ることはない。
弁護士が100人そこそこと極端に少ない県では、懲戒請求したとしてもきちんと審査しているのか怪しい例があるし、それどころか問題のある弁護士が弁護士会の役員や犯罪被害者の会のような公的機関の理事をやっている事すらある。
このような状態では、一般人は弁護士の能力を知りようがない。ここが一番の問題である。弁護士の非行に関しても懲戒請求があったか否かも公開がなされなければ、競争原理も満足に働かない。
弁護士会は政治的発言ばかりしているようだが、先ずはきちんと弁護士会本来の仕事、すなわち弁護士の能力を高める努力をする事、非行弁護士をきちんと懲戒することが早急に求められる。田舎の県では何期の弁護士かどの大学出身かなどが働いて、これらが満足に機能していないように思われる。
今の状態を見ると、弁護士会自体がカルテルのようにしか思えない。経済的に立ち行かなくなった弁護士の市場からの排除もそうであるが、まずは弁護士会の改革がなければ話にならない。
2016年7月29日 10:06 AM | 匿名
競争というのは、結局のところ、資本主義社会における競争なので「より効率的に大金を稼ぐ人が正義」ということになります。
無論、質のよいサービスを提供することにより、高収入を得る弁護士もいるでしょうが、そのサービスを受けられるのは、それに見合った報酬を支払える人に限られます。
質のよいサービスを原価割れで提供するような良心的な弁護士は寧ろ淘汰される方に回るでしょう。
また、当然のことながら、不当な手段に出て、生き残りを図る弁護士も当然出てきます。
淘汰されずに残った弁護士が、弁護士として有能で、かつ、良心的な者揃いとなるとは思えません。
また、無能ゆえに淘汰される弁護士がいたとしても、その弁護士に引っかかった人の損害は誰が補償してくれるのでしょうか。
2015年4月24日 6:21 PM | 大阪の弁護士
競争,競争とはよく言うが…
一般ピープル
弁護士は相手側(とその弁護士)や警察・検察と日々ものすごいストレスを抱えながら”戦闘”しています。”戦闘”中の弁護士に”競争”させろというのがそもそも…と言った感があります。知人に弁護士がいない市民が圧倒的なのに市民に学生の頃から最低限の市民法律教育や弁護士の依頼の仕方,保険の学習などを全くせずに”競争”と声高に叫んで弁護士数を急増させ続けても,法科大等の莫大な借金を抱えた困窮弁護士が,その無知な市民を相手に”ある程度の弁護士費用相場”を度外視した請求をしかねないと思います。”市民(=依頼者)”あっての弁護士稼業なのに,”市民(=依頼者)”のことが欠落して制度だけ先走っているように感じてなりません。弁護士費用が安いに越したことはありませんが,安くなりすぎて”市民(=依頼者)”が割を食うようになっては意味がないと思います。弁護士数は逓増くらいがちょうど良かったのかもしれません。一部の損保会社は付帯サービスで提携弁護士・税理士との無料相談を実施していますが,同サービス停止を損保会社が打ち出したというのを耳にしないことからそもそも弁護士の”競争”だの”淘汰”だのは必要なかったのではないでしょうか。弁護士数を急増させるより,多忙極まりない裁判官や検察官,警察官の数をもう少し増やすのが市民目線での司法改革・市民生活レベルの向上ではないでしょうか。
2013年4月21日 1:20 PM | 一般ピープル
淘汰の過程
地方弁護士(19年目)
淘汰はされると思うし、弁護士資格者は5万人を超えるでしょうが、実際に実務ができるのは4万人前後で一定すると思います。しかし淘汰の過程が問題です。売上が1000万円を切れば自動的に登録抹消ならいいのですが、淘汰される側も人生がかかっています。なんとかして生き残ろうとするでしょう。せっかくもらった弁護士という資格ですから。売上が減ってどうやって生き残ろうとするでしょうか。敗訴覚悟の着手金狙い。辞任覚悟の手数料狙い。自営業者ですからお金をごまかすことも簡単にできるでしょう。さらには結果を急ぐための依頼者や相手方への恫喝。皆自分の身に置き換えれば予想は付くのではないでしょうか。その結果被害を被るのは利用者です。
2013年2月26日 11:21 PM | 地方弁護士(19年目)
弁護士業は甘えている。
一市民
士業はギルド的な制度のぬるま湯につかってやってきた。
弁護士の質の向上は個々人の問題でしかない。
それを制度の転化する前に、個々の営業努力や質を高める
努力をすべきではないか。
資格を有するから、それだけで食えるという時代は終わった。
自らの保身のために、努力を怠っているとしか見えない。
私は、サラリーマンだが、民間ではとても通用しないと思う。
努力がいやなら、廃業して、別の職種に疲れることをお勧めする。
なお、現在、弁護士も2極化し、良い事務所はちゃんと
儲けているし、悪い事務所は駆逐されている。
以前のような殿様商売気質は捨て去って業務を行うべき。
2013年2月12日 4:27 PM | 一市民
否定すべきです
とおりすがり
否定すべきです。
弁護士のサービスは競争したから向上するものではありません。競争して向上するのは、サービスの押し付け方だったり、依頼者をうまく丸め込む能力だけです。ここまで増えてしまうと正直自分で仕事つくってしまわないとどうしようもないレベルに困窮している弁護士ももたくさんいるからです。医者から無用な薬を知らず知らずのうちに出されていたりするように、要らない手続きに費用をかけて儲ける弁護士が増えてくるだけです。
格安で低級なサービスをたくさん提供してくれるでしょう。
ただ、往々にしてそういった弁護士は口が上手く先生有難う!という気分にしてくれるかもしれません。
弁護士なんていくらでも増やせばいいじゃないか、という議論は資格制度の意味がわかっていっているんでしょうか。一度弁護士法等でも勉強してからものをいってもらいたいです。
どちらかというと数を増やせという淘汰の理論は社会の無駄を増やすばかりだと思います。
これ以上増やしすぎないで、増えた弁護士をどう使うかのインフラを整備しなくてはいけないと思います。そこそこに優秀なのに生かされていない弁護士がいるのはもったいないと思います。これを淘汰して生活保護受給者にでもしてしまえというのは乱暴でしょう。(マスコミの皆さんは仕事で叩けばいいので叩いたばかりですが)それこそ何のために補助金を出して法科大学院を存続させているのですか。淘汰されて社会の役に立たない人材を生み出すためでしょうか。増やしたからにはこれを上手く使うために補助金などを使うべきです。少なくとも法科大学院に使うよりはましでしょう。
年寄りが有害じゃないかといいますが、有害なほどに年寄りな弁護士は適宜懲戒等で排除されるのではないですか。
2012年7月20日 2:02 AM | とおりすがり
資格制度の趣旨に反する
匿名
競争・淘汰で良いものが残るなら、
資格制度は要らない。
無資格で皆が競争すれば良い。
それでは困るから、資格制度を作り、信用を保っている。
2012年7月5日 7:40 PM | 匿名
そもそもの基準が違いすぎる
とおりすがり
私は一般サラリーマンですが、収入面から言えば勝ち組に属する部類です。しかし、身近には負け組、ワーキングプアと言われる人もいるので、両方の見方を持っていると思っています。
さて、属性を明らかにしたうえで意見を述べると、そもそも現在の弁護士業界が「競争状態」には全くないと考えます。また、「喰えない」と言っている弁護士の経済環境をみると、その認識は市井の一市民からすれば、中流レベルの環境だったりします。要するに弁護士業界のいう「食べていけない」のレベルが市民感覚と全くもってズレていると思います。
ですから、競争否定論についても論理的には理解しますが、全く感情に響かないのです。
さらには、質の悪化を招く論に至っては居直り強盗みたいなもので、金払いが悪いから質が下がる、というのであれば自治職業としての意義は全くないに等しいでしょう。少なくとも弁護士業界以外からの理解を得るためには、違うロジックが必要です。
2012年6月13日 3:58 PM | とおりすがり
「淘汰」理論で増員は正当化されない
坂本隆志(東京弁護士会
市場原理により弁護士が「淘汰」されることを一般論としては否定しない。現在のように弁護士が大増員される以前にも都市部では激しい競争があったし,最近は「競争に勝てなければ弁護士は食べていけない」という認識が広がり,それがサービスの多様化や質の向上に役立っているという面も多少はあるかも知れない。
ただし,競争があまりに激化し「弁護士になっても食べていけない」蓋然性が高まったことで,法科大学院だけでなく大学法学部の志望者も激減しており,見かけの人数増加とは裏腹に,法曹界の将来を担うべき優秀な人材は法曹界を敬遠する傾向が高まり,むしろ法曹界自体が社会から「淘汰」されつつあるのが現実である。安直な「淘汰」理論で弁護士の増員を肯定するのは,無責任な思考停止でしかない。
2012年1月16日 6:14 PM | 坂本隆志(東京弁護士会
おかしくはない
清高
一般論として、競争により、消費者は選択できますので、「競争による『淘汰』」の考えを否定するのは難しいと思います。普通のサービスと違うとは思いません。もっとも、刑事国選弁護人など、市場と異なる論理のサービスもあるので難しいのですが。
2011年12月19日 9:01 PM | 清高
市場競争では弁護士の質は向上しない
中田 大(弁護士)
弁護士増員の是非はさておき,市場での競争は無益と考えます。
そもそも,弁護士の法的サービスを商品として扱う限り,自由競争原理はあてはまりません。一般的な商品であれば,価格が低下することで需要が高まることはありますが,弁護士費用の単価が下がることで法的紛争がより多く発生するなどということはあり得ないのであり,需要の増加には自ずと限界があります。したがって,限られた事件を奪い合う中で弁護士費用の単価を下げざるを得ないとすれば,合格者を増やしたところで,過当競争により,弁護士数が適正な人数に落ち着くまで弁護士を廃業に追い込むだけです。
次に,自由競争で商品の価格が需要・品質等に応じて適正に定まるためには,前提として,購入者側が,商品の品質等に関する情報を十分に認識でき,合理的な経済活動ができることが必要です。しかし,法的サービスを購入するにあたっては,購入者側が事前に弁護士の質に関する十分な情報を得ることは非現実的であり,したがって,同じ価格で最も質の高い弁護士に依頼するという合理的な経済活動ができません。その結果,廃業に追い込まれる弁護士は質の低い弁護士であるなどという法則が成り立ち得ません。
さらに,弁護士の質を保つために競争が必要だとしても,その競争が市場での競争でなければならない理由は何一つありません。そもそも,法曹の質を保つために,司法試験及び2回試験が課されているのですから,司法試験等による競争は緩和して,市場での競争を激化させるという方策に合理性は見いだせません。
2011年10月5日 6:40 PM | 中田 大(弁護士)
適切な淘汰が既に進んでいます
元社会人の無職
弁護士の質を議論するなら、懲戒処分のデータを無視できません。依頼者とトラブルを起こして懲戒処分される大半が、登録番号の古いベテランです。弁護士急増で競争にさらされ、少ない収入しか得ていないはずの世代は、圧倒的に少ないのです。以下に、2000年以降の登録番号別懲戒人数のグラフが掲載されています。
http://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/32682247.html
このブログでは、長年懲戒処分について調査されており、2008年にはこんなことが書かれております。
http://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/25215294.html
「一番懲戒処分を受けている年齢は50~70代です」
加えて、弁護士廃業が急増しており、登録番号の若い弁護士がその大半を占めていることが、以下で指摘されております。
http://www.shirahama-lo.jp/blog/2010/07/post-92.html
http://www.shirahama-lo.jp/blog/2010/07/post-93.html
以上から、以下のように推測します。
当初から厳しい競争にさらされている世代の弁護士は、競争に勝てないと諦めた者は早々に自ら退場し、懲戒処分されるような悪さをしない良質な弁護士が残っている。対して、競争に不慣れなベテランは、悪さをしてでも弁護士を続け、懲戒処分される。
つまり、増員に慎重になるということは、ベテランが悪さをするから良質な新人を増やすべきでないということです。
私は、悪質なベテランが淘汰されることが市民のためと考えるので、淘汰論理を肯定します。ロースクールで法曹倫理をまともに学んでいる世代が、早く増えて欲しいです。
2011年7月30日 6:42 AM | 元社会人の無職