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 西野喜一氏(2014年3月まで新潟大学大学院実務研究科教授、現在同大学名誉教授)の「さらば、裁判員制度」と題する一書が、2015年1月30日付でミネルヴァ書房から出版された。

 

 西野氏は、元裁判官で、1990年に新潟大学教授に転じたのであるが、裁判所および新潟大学各在職中にそれぞれ米国に留学し、その地の陪審制度をつぶさに研究して、同制度には欠点が多く、このような制度をわが国に移入するようなことは決してあってはならないとの確信を抱いて帰国された。そして、陪審制度批判の克明な報告的論文(「陪審審理の諸問題」)を法律雑誌(判例時報1714号、1716号、1717号)に発表しつつあったその頃、司法改革が始動して来たのであるが、西野氏は、このような動静の間において、裁判員制度へと考察の目を転じ、日本国憲法制定時に陪審制度等の裁判への国民参加がいかに議論されたかの観点をも含めて、裁判員制度の合憲性等について詳しく検討して、同制度には違憲の疑いを免れない点が多数あることを論証し(「違憲のデパート」とは同氏の命名である)、また同制度のその他の問題点を指摘し、併せて学者、弁護士らによる合憲論を丹念に批判された。その研究成果は、「裁判員制度批判」(2008年、西神田編集室)、「司法制度改革原論」(2011年、悠々社)にまとめられており、なお、啓蒙書として「裁判員制度の正体」(2007年、講談社現代新書)がある。

 

 ところで、日本国憲法には、一般国民が裁判官と同等の立場で裁判に参加する参審制や陪審制について何ら規定はなく、また刑事訴訟法には参審制や陪審制との接合を予期するような規定は全くない。それゆえ、裁判員制度のような刑事訴訟制度の根幹に関わる新制度を作ろうとするならば、
 ① 現行刑事訴訟法またはその運用にいかなる問題点があり、新制度によりそれが是正されるのか、
 ② 憲法違反ないしその疑いのある点は全くないのか、
 ③ 刑事訴訟法の原理に違反する点は全くないのか、
等の事項について、当然綿密な上にも綿密な検討が先行しなければならない。しかし、驚くべきことに、裁判員制度は、このような綿密な検討をしていては、議論百出し、到底立法はできないとして、ほとんど一切省略され、制度推進論者らの「この機会を逃しては制度はできない。何としてでも制度を作ってしまえ」との喧声に導かれるままに立法されてしまったのである。
 

 この間において、さらに驚くべきことに、「憲法の番人」最高裁判所が、平成12年3月に司法制度改革審議会で派遣した係官の口を通じ、「参加者の国民が裁判の評決権を持つことには違憲の疑いがあるので、『評決権なき参審制』はどうか。これは最高裁の裁判官の大方の意見の一致を見たところである」旨の意見を述べておきながら、審議会の賛成を得られないとなるや、国民に対する説明もなく水面下で何があったのかわからないまま、態度を一変させ、参加者に評決権のある参審制の裁判員制度に賛成したのである(西野氏はこれを「最高裁の変節」と呼ぶ)。

 

 裁判員制度を定める「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」(裁判員法)の立法経過は、以上のように、刑事裁判制度の重大な変革としては杜撰にして拙速極まるものであった。同制度が「違憲のデパート」となったのも、まことに当然のことといわなければならない。

 

 しかも、最高裁は、裁判員法が成立するや、法務省および日本弁護士連合会とともに、裁判員制度推進の先頭に立ったのであった。制度構築のために宣伝費や庁舎改造費等々の莫大な国費が投入された。かくては、裁判員法施行後に争訟において被告人側などから同法の違憲性が主張されても、少なくとも制度ないしその運用の根幹に関わる事項については、ことごとくこれを合憲と判断せざるを得ない立場に、最高裁は自らを置いてしまったのである。司法の至高の権限である「法令の違憲審査権」(憲法81条)を事実上放棄したものと評しても、過言ではないであろう。

 

 西野氏の本書「さらば、裁判員制度」は、以上のような経過で作られ、実施されている裁判員制度の違憲性をあらためて委曲を尽くして説明するとともに、以上のような立場にある最高裁の下した、裁判員制度を合憲とする平成23年11月16日大法廷判決を完膚なきまでに批判したものである(合憲判決は「屁理屈のオンパレード」と評されている)。筆者は、本書を読み、本書は裁判員制度に対する強烈なノックアウト・パンチであり、同制度は今やノックダウン状態にあると痛感した。同様の所感を抱く読者も多いであろう。或る友人の現職裁判官(民事担当)は、「大法廷判決批判は圧巻ですね」との読後感を筆者に寄せた。控え目な表現ながら、本書の持つ迫力の程を窺わせよう。

 

 いうまでもなく、裁判官は、憲法により憲法を尊重し擁護する義務を負う(憲法99条)。従って、裁判員参加事件の審判に当たる裁判官は、第一審であると上訴審であるとを問わず、裁判員法には一点も憲法違反はないと考えて同法を適用しているはずである。それゆえ、それらの裁判官は、西野氏の本書によって同法の合憲性および大法廷判例が上述のように痛烈に批判されたのであるから、私的論文の形で堂々と反批判し、われわれの蒙を啓いてもらいたいものである。

 

 それとも、裁判官らは、裁判員法には西野氏の指摘するように憲法上の問題があるが、ここまで先頭に立って制度を推進して来た以上、国民の手前いまさらどうしようもないのだとして、知らぬ顔で裁判員法の適用を続けるのであろうか。もしそうだとすれば、裁判員制度は、今や「法理」によってではなく、ただただ「権力」によって動かされているにすぎないということになりはすまいか。

 

 裁判員制度には、そのほか、莫大な血税を費やし、国民に多大の迷惑をかけながらこのままいつまでも続けていて果たしてよいのだろうかという深刻な反省を迫る実際的な問題もある。

 

 裁判員制度の即時の廃止が困難だとしても、少なくとも被告人に裁判官のみによる裁判を受ける権利を与えなければならない(西野氏の本書も力説している)。憲法の司法の規定および被告人の権利保障に照らし、被告人が裁判員参加裁判を強制されることだけは許されないであろう。

 

 わが国の刑事司法は、マスコミが報道しないので国民に知らされていないが(本書はマスコミの在り様も痛切に批判している)、真実は大変な事態に陥っているのではないか。これを是正しようとする勇気ある裁判官は一人もいないのであろうか。

 

 筆者は、西野氏の本書を読んで、以上のような感想を持つのである。裁判官等の法曹はもとより、一人でも多くの国民が本書を読んで深思、熟考してもらいたいものである。(2015年4月2日記)



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