弁護士同様、司法書士という存在について、私たちのなかに特にはっきりしたイメージがあったわけではなかった。むしろ、メディアに顔を出す弁護士以上に、その存在は良く分からないというのがあるのが、正直なところだった。おぼろげながら分かっていたことは、法律的な文書の「代書」業くらい。それでも、これから本人訴訟に臨もうとしている素人市民の私たちからすれば、この弁護士に次いで法律に近い専門家であるらしい彼らが、最後の拠り所であったのだ。
家から40分離れたD司法書士のもとには、地元の兄一人がいくことにあった。私が彼を見たのは、その後、彼が私たちの民事裁判の法廷に傍聴に来てくれたときだ。まだ、若い感じの先生だったように記憶している。兄が彼のもとを訪ねたときの第一印象は、物腰が低く、人当たりがいい、というものだった。以前の弁護士に比べても、若干おとなしい感じがした、とも話していた。
兄は、これまでの経緯――私たちが巻き込まれた事件、社協の対応、弁護士・会との癒着、そして、私たちと決別することになったS弁護士のことなどなどをD司法書士に話した。兄によれば、彼はこの事件に関心を示し、事件そのものには「ひどい事件だ。とんでもない、許せないですね」と言った。そして、親身に対応してくれる姿勢も示した。
私たちが一番、アドバイスが欲しいと考えていたのは、やはり裁判所に提出する書面だった。弁護士なきあと、私たちが用意していた文書は、もちろんすべて私たちが頭をひねって作りだしたものであり、やはり不安だった。法律のプロに、見てもらいたかったのだ。
刑事裁判では、犯人が窃盗した金額が争点となっていたが、私たちは民法715条にのっとり、社協の職務怠慢を追求するということが、本丸だと依然考えていた。刑事裁判では、被害「15万円」ということで片付けられたことも、本音として不服だった。捜査関係者からは、「あとは民事で」というアドバイスもあったが、とにかくそうしたことをこの裁判ではらしたい気持ちが私たちのなかに強くあったのだ。そのために、刑事裁判が描いた事件と別の視点からも、この事件の真相を裁判所に理解してもらうための文書の提出を、兄と私は考えていたのだ。
これに関する文書を見せると、この時は、D司法書士からは「特に訂正個所はない」という返答が返ってきた。ある程度、この件を含む争点整理ができていたからなのだろうか。
兄と彼のやり取りの話を聞く限り、刑事事件判決の窃盗金額15万円に対し、民事では700万円の被害金額立証になる、といったことよりも、そもそも本人訴訟にどこまでこの裁判に素人が挑めるのか、その一点に関心があったように思えた。ある意味、司法書士として、どこまでできるに目を向けていたのかもしれない。また、勝敗よりもむしろ、彼はこちらが、がむしゃらにこの事件に立ち向かっている、その姿勢に共感してくれたのではないか。そんな風にも思えた。
最後に彼は、兄にこう告げたという。
「時間が合えば必ず、法廷に応援に駆けつけますよ。頑張って下さい」
裁判当日、裁判終了の時に私は、はじめて彼に合い、立ち話をした。そんなに接点がないのに、わざわざ駆けつけてくれたことに、私は、やはり喜びを感じていた。