司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈ルーズベルトの「裁判所抱き込み計画」〉

 

 今回は、表題につき、1937年以降の変化を紹介する。

 

 ルーズベルト大統領は、1929年の大恐慌に対処すべく、ニュー・ディール政策を実施した。それは、これまでの古典的な自由主義的経済政策から、連邦政府が市場経済に積極的に関与する政策へと転換するもので、その中には多くの社会立法が含まれていた。これは連邦最高裁の経済自由主義及び連邦主義に真っ向から反するものであった。そのため、ニュー・ディール諸施策に次々と違憲判断が下された。連邦最高裁は9名の判事で構成されるが、違憲判断の多くは5対4という僅差によるものであった。

 

 これに業を煮やしたルーズベルト大統領は、最高裁判事数は憲法に定めがないことから、最高裁判事を9名と定める1869年制定の「裁判所法」を「司法手続法」に変更して、これを15名にして自己の政策に友好的である判事を最高裁に送り込み、最高裁内の勢力図を変えようとした。アメリカ連邦最高裁判事には任期の定めがなく、終身在職権を有するものであることから、大統領任期(最大で2期、8年間)を越えてルーズベルト大統領的施策が維持できるというわけである。この法案は、(裁判所抱き込み計画)court packing planと呼ばれるものである。

 

 話はそれるが、現在のドナルド・トランプ大統領は在職1年半にして2人の最高裁判事を指名する機会に恵まれた。指名され上院で承認された一人目が保守派であったことはもちろんであるが、現在指名され上院の承認待ちの一人は、保守派であるだけでなく、かつて、大統領は刑事捜査の対象にはならないとする論文を著した現連邦控訴裁判所判事である。現在、ミュラー特別検察官による、いわゆる「ロシア疑惑」捜査が山場を迎えており、また、2018年11月に予定される中間選挙で議会勢力図が変われば(共和党に代わって民主党が多数を占めれば)、大統領弾劾も視野に入る時期だけに、きな臭い人選である。

 

 話を戻そう。ルーズベルトのこの抱き込み計画に恐れをなしたか、同年から連邦最高裁は態度を急変した。最賃を法定した州法を合憲とし、あるいは、違憲とされた全国産業復興法の後に制定された公正労働基準法や全国労働関係法の憲法適合性を認めるなど、ニュー・ディール諸施策を承認する立場に転換したのである。このような変化は「憲法革命」とも呼ばれる。

 

 なお、公正労働基準法及び全国労働関係法はその後に幾度かの改正がなされるも、現在に至るまでそれぞれ雇用契約法及び労働団体法の大黒柱となっている。

 

 

 〈司法積極主義の功罪〉

 

 このような憲法判断の変遷は先に述べた「デュー・プロセス」及び「州際通商条項」についての考え方に関する大きな変化を伴っていた。

 

 「デュー・プロセス」に関しては、契約の自由、経済的自由は「デュー・プロセス」の保護対象ではあるが、表現の自由等の基本的自由に適用される厳格審査は必要とせず、合理性基準で判断すればよいとされた。いわゆる、「二重の基準」である。そして合理性を判断する際には、立法部の判断を尊重し、不合理と認められなければ合憲とした(合憲性の推定)。

 

 「州際通商条項」該当性の判断に関しては、直接的影響の有無という基準を廃止し、州際通商に相当密接な関係があれば該当するとし、あるいは、憲法1章8条18項の「必要かつ適切」条項(同条1項から17項までに列挙された権限を行使するのに必要かつ適切な事項を立法できるとする規定。)を利用して、その規制は州際通商に必要かつ適切であるとして合憲性を認めた。その後は、多少の例外はあるものの「州際通商条項」に該当しないことを理由とする違憲判決はなくなった。前述した公正労働基準法は、不公正な競争は州際通商に重大な悪影響を与えるとして、全国労働関係法は州際通商に密接かつ実質的な関係があるとして、それぞれ合憲とされたのである。

 

 以上、見てきたようにアメリカでは比較的リベラルな政策が連邦最高裁の司法積極主義により抑制され、その後の同裁判所の姿勢の変化による司法消極主義によりリベラルな政策や社会立法が維持されるようになった。先に述べたトランプ大統領による保守系人選により司法積極主義が復活し、人工妊娠中絶許容判例、人種差別関係法制、環境法制、LGBT法制等が大きな変遷を迎える可能性が指摘されている。また、民主党政権となれば、そこで採用される政策・立法の多くが違憲判断に直面する可能性もある。

 

 このように、司法積極主義・司法消極主義は政治的立場と無縁ではない。日本では、戦後、保守政治が長期に続き、その保守政権に選ばれた人物が最高裁裁判官となり、最高裁が下級審を支配する構造の下、政権の政策判断に対しこれを尊重しその違憲判断を回避してきた。これに対しリベラル勢力からは裁判所の憲法判断に対する積極姿勢を求める見解が多く出される傾向にある。

 

 しかし、アメリカの例に見たように、決して、司法積極主義=リベラルではない。司法に対し憲法に忠実であることを求めるのは当然として、政治の在り方を抜きにしては司法積極主義の功罪は語れないのではあるまいか。



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