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 〈修正8条該当性をめぐる動き〉

 

 アメリカの50州中、死刑廃止州は19、維持州は31、その内死刑執行停止中の州は4つとなっている。その死刑維持州であるアーカンソー州で2017年4月17日から27日の間に8人の死刑執行をするという計画が発表され、アメリカ国内はもとより世界中から注目を集めた。2005年に死刑執行して以来、一件の執行もしてこなかった同州が執行を再開する理由が死刑執行に用いる3薬剤の一つである催眠鎮静剤ミダゾラムの使用期限が過ぎようとしているということであったことがさらなる関心を引いた。薬剤会社が自社の製品が人殺しに使用されるのを嫌い州政府に売却するのを渋るため、アーカンソー州でも薬剤入手が困難となり、在庫品の期限切れが同年4月30日でとり、それまでに執行をしてしまおうということだったのである。

 

 実際には精神無能力等の理由で4人が執行停止され、4人が執行された。執行された内の一人については連邦憲法修正8条の「残虐または異常な刑罰」に当たる可能性があるとして一時執行停止となり、また、他の一人については執行後、彼が苦しみながら死んでいったのではないかが大きな問題となった。これは、アメリカの死刑に関する憲法問題は修正8条該当性を軸に論ぜられてきたからである。

 

 代表的なものにファーマン事件がある。これは窃盗目的で住居に侵入したファーマン被告人が家人に見つかり逃走しようとしたとき所持した銃が発射され家人が射殺されたという事件である。発砲が故意か偶発的かについては争いがあった。この事件で死刑判決を受けた被告人は連邦最高裁に審理を求め受理された。そして、1972年、連邦最高裁は死刑か否かの選択を何の基準もなく陪審員の裁量に任せることは、人種差別の基盤ともなり、「残虐または異常な刑罰」に該当するとしたのである。なお、ファーマン被告人は黒人であった。

 

 この判決により連邦を含む多くの州の法律が無効となり、事実上の死刑のモラトリアムとなった。

 

 これを受けていくつかの州は、第1級殺人は裁量の余地なくすべて死刑とする法改正をした。しかし、これは連邦最高裁によりあえなく違憲とされた。修正8条が要求する「人間性に対する基本的尊厳」の要件に反するというわけである。

 

 他方、多くの州では死刑基準を定めた。その合憲性を認めたのが1976年のグレッグ判決である。武装強盗と殺人の罪で起訴されたグレッグ被告人は有罪とされ、死刑基準を定めたジョージア州法の下で死刑判決が下された。これにつき、連邦最高裁は、死刑判決はいかなる場合でも違憲となるというものではなく、慎重かつ思慮深く運営される限り有効である、改正ジョージア州法は死刑事案につき罪体審理と量刑審理を分け、死刑判決の基準を設け、かつ他の事案との比較を要求しているので合憲であるとしたのである。

 

 こうして死刑が再開されることになったが、この間数年に渡って死刑が事実上廃止されたことは重要である。ともかく、修正8条は死刑を制限する方向で機能したが、その修正8条を適用したグレッグ判決により死刑は再開され、以降は具体的な死刑執行方法が「残虐または異常な刑罰」かという点に焦点が絞られるようになった。冒頭のアーカンソー州事案はこのことを示す。そして、実際の死刑執行で死亡確認まで何分を擁したか、その間受刑者は身もだえたか等が問題とされ、連邦最高裁はアーカンソー州事案で使用されたものと同じ催眠鎮静剤がオクラホマ州では効果があった、受刑者は不要な苦しみを強制されなかったと判断し、その判断の数日分後にアーカンソー州がこの薬を入手したのである。もっとも、薬メーカーは死刑執行用だとは知らなかったと主張している。

 
 
 〈死刑自体の残虐性という問題〉

 

 ここで筆者が思うのは、確かに受刑者が必要以上の肉体的苦痛を与えられたかも重要であるが、死刑自体が残酷ではないかの問題を語らなくてよいのかということである。

 

 実は、ファーマン事件でもブレナン判事が、いかなる判断方法、執行方法であれ死刑自体が残酷だとの意見を明らかにしている。修正5条は適正手続きの保証なく生命を奪われないと規定して死刑の存在を認めているように読めるが、それとても死刑が修正8条の制限を免れることはできない、「残虐または異常な刑罰」か否かは発展した社会の成熟度によって規定されるものであり、現代において死刑は「残虐または異常な刑罰」に当たるというべきである、すなわち、死刑が広く認められ一般的であり、刑務所制度が未成熟であった国家成立時と現代では状況や文化的成熟度が全く異なっており、憲法制定時の「残虐または異常な刑罰」基準は現在では通用しないと言うのである。なお、同判事は受刑者の死刑判決から死刑執行までに受ける精神的苦痛も見逃してはならないとする。

 

 日本でも、憲法36条が残虐な刑罰を禁止しているが、憲法31条が「法律の定める手続によらなければ、その生命・・・を奪われ」ないとしているため、死刑自体は合憲であるとされる。最高裁は、「残虐な刑罰」とは不必要な精神的、肉体的苦痛を内容とする人道上残酷な刑罰を意味し、火あぶりや釜ゆでのような残虐な執行方法でなければ死刑は残虐な刑罰とは言えないとする。

 

 しかし、混乱状態にあったともいえる憲法施行時前後の日本社会と現代では治安も殺人事件数も著しく異なる。行刑制度も不十分ではあるが整えられてきた。この間、世界各国で死刑廃止が実現してきた。最高裁自身も火あぶりや釜ゆで等は許されないとするのであるから、残虐性の時代的・文化的相対性は認めているのであろう。そして、現代は死刑自体の残虐性を論ずることのできる時代ではないだろうか。絞首刑が受刑者に不要な肉体的苦痛を与えるか否かは本質から離れているというべきである。このような議論を前提とする限り、絞首の前に効き目のある催眠鎮痛剤を投与すればよいとのアーカンソー州的議論に行きついてしまう。なお、同州は2017年8月、新たにミダゾラムを入手したことを明らかにした。やる気満々である。

 

 前回は日米の保釈制度を、今回は死刑の残虐性をアメリカの特殊性の観点から書いた。いずれも、何の前提もなくアメリカの連邦憲法、その修正条項、州の実情等について記した。次回は、アメリカ連邦憲法の中の修正条項の位置付け、連邦憲法の各州への拘束力の有無について紹介してみたいと思う。



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