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 〈米国の死刑制度の背景にあるもの〉
 

 これまで、何回かにわたってアメリカの死刑制度に触れた。

 現在の同国では、23州とワシントンD.C.が死刑を廃止し、死刑存置州中11州が最近10年間死刑を執行していないか死刑を執行しないと宣言している。死刑を存置し、かつ、執行している法域は連邦と13州ということになる。そして、そのほとんどが南部の州に集中している。これらの州の多くが、かつて人種隔離政策を採用し、かつ、強姦(強制性交)に対する死刑を定めていた。そのため、南部諸州では、白人女性に対する黒人の強姦が死刑とされた例が多い。

 現に、1870年から1950年まで強姦で死刑執行された771人中701人が黒人であり、1930年から1967年までに455人が強姦で死刑執行されたが、そのうちの405人が黒人であった。そのほとんどの被害者は白人女性だと思われる。そして、これらは、いずれも南部諸州に集中している。

 なお、連邦最高裁は、1977年、強姦に対する死刑は憲法に反するとする判決を出した。

 強姦に限らず、統計上は、死刑は、被害者白人、加害者黒人の場合が圧倒的に多いとされる。

 現在は、死刑判決を受けても執行される数は非常に少なくなっているため(執行者数よりも自殺者数の方が多いとされ、多くの死刑囚は執行の不安を抱えたままの終身刑囚となっている)、刑務所内の死刑囚の数は相当多くなっている。そして、2021年4月1日時点における死刑囚2504人の41%が全人口比では12%に過ぎない黒人である。

 ショッキングなのは、1973年から2018年までの死刑囚の雪冤者164人中84人が黒人であり、その半数以上が、南部諸州の事案であったことである。

 1972年に連邦最高裁の死刑違憲判決が出され死刑執行がストップしたが、1976年に厳格な手続制限の下に死刑の合憲判決が出され、1977年に死刑執行が再開された。その後、2020年までの執行者数は1529人であるが、その内1249人(81.7%)が南部諸州で行われている。

 このような事情は、かつての奴隷制度に起因しているといわれる。

 南北戦争以前は、黒人奴隷は人格を否定され、白人農園主の所有物とされた。奴隷解放後も、黒人を所有物視する感覚による差別は続き、かつ、白人層は黒人の復讐や反乱・暴動を恐れ、黒人に対する死刑やリンチ(私刑)が続いた。

 他方で、女を夫や父の所有物であり、強姦とは夫や父の所有物侵害とする考え方がはびこり、これが、長期にわたり強姦への死刑適用が認められた理由だとも言われる(なお、バージニア州等で窃盗も死刑の対象とされていた。)。女性の地位を尊重したが故に死刑という厳罰を可能にしたというわけではないのである。

 すでに述べたように、1977年の最高裁判決により、強姦への死刑適用法は廃止されたが、その適用の根拠となる思想は生き残っている。

 1989年、ニューヨークのセントラルパークで白人女性が強姦され、間もなく、4人の黒人と一人のヒスパニック(セントラルパーク・ファイブと呼ばれた。)が拘束された。その2週間後、ニューヨーク・タイムズを含む同市の5紙に、暗にセントラルパーク・ファイブを指して、「死刑を復活せよ」というタイトルで全ページ意見広告を載せた不動産王がいた。事件の起きた全く同じ日に、同じくニューヨーク市で、黒人女性が強姦され建物の5階か投げ捨てられるという事件があったが、彼はこれに触れることはなかった。その彼の名はドナルド・トランプである。その人物が、犯罪に力強く立ち向かう政治家の印象を得たこともあり、2016年にアメリカ大統領に選ばれたのである。

 なお、セントラルパーク・ファイブは有罪判決を受け投獄されたが、事件発生11年後に、真犯人が明らかとなり、刑務所から解放された。

 ここから理解できるのは、ひとりドナルド・トランプだけでなく、多くのアメリカ人が白人至上主義に共鳴し、かつ、女所有物感に捕らわれているのではないかということである。

 アメリカの死刑制度には、以上のような国の歴史、文化、政治に根差した背景を有する部分があり、南部諸州で死刑制度が生き残っているのも、そこに原因があるとされる。


 〈存置国日本の背景事情解明も重要〉
 

 では、いまだに死刑を廃止できない日本における死刑存続の背景とは何であろうか。

日本にも、人種差別、外国人差別はあるが、アメリカほどの広がりはなく、人種差別が死刑維持の背景にあるとするには無理があろう。

 アメリカの死刑制度のもう一つの背景である女性差別についてはどうであろうか。

 明治の旧刑法の時代から現行法に至るまで、強姦に対する刑罰は懲役であり、死刑は規定されていない。女性差別は死刑維持の根拠とはならない。

 ただし、男女差別は現存し、他方で、近時、強制性交罪の厳罰化が話題となっているので、死刑問題というレールからは外れるが、若干の私見を述べたいと思う。

 日本は、世界経済フォーラムによる「ジェンダーギャップ指数2021」では、156か国中120位とされている。その日本で、強制性交罪の厳罰化(立証の容易化を含めて)が進行している。そこに、女の主体化・自律化よりも対象化、社会的貞操体強化を見るのは筆者だけであろうか。

 「強制性交の被害者は精神的に殺されたも同じだ。」という趣旨の考え方も伝えられるが、強制性交罪以外の犯罪でPTSDで苦しめられる犯罪被害者は少なくない。

 強制性交被害者は被害を恥ととらえるとされるが、何ゆえに被害者側が被害を恥と考えねばならないのだろうか。そこには、性(特に女の性)に対する神聖視と卑猥視(不道徳観)という極端な事大主義が並立しているのではないか。卑近な例でいえば、男の性器を「オチンコ」と呼称し、そこに卑猥さを感じないと言われ、他方でこれに対応する女の性器の呼称をタブー視する風潮がある。芸能界の女の不倫は(一時的にせよ)業界からの排除にまで行きつくのに、男のそれは極めて緩やかに受け止められる。

 筆者は、かつて労働組合に属し、「女性労働者の権利は保護の対象ではなく保障の対象だ。」と主張したことがある。

 強制性交厳罰化についても、女の性は社会で保護しようとする対象ではなく、男女不平等の是正と女の性の自律化を伴う女性の主体化という観点から考察されるべきものと思うのである。

 死刑に話を戻そう。

 アメリカで1972年に連邦最高裁の死刑違憲判決が出たとき、これを指導したのは、死刑の背景たる人種差別をなくそうとする全米有色人種地位向上協議会の法律家グループだった。

 日本においても、死刑の存否について考えるときに、殊に死刑の廃止を目指すのであれば、世界中の多くの国が死刑を廃止している時代に、なぜに日本が死刑制度にこだわるのか、その背景を探り、その背景事情を解きほぐしていくことも重要ではないだろうか。



 


  



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