〈自白させる目的の逮捕〉
先日、警察が、女児を刃物で襲って重傷を負わせた疑いで、別の女児殺害事件で無期懲役刑に服している男を逮捕したとの新聞記事が出た。おそらく、この後、勾留手続きが続くことになろう。
しかし、逮捕及び勾留は、被疑者に逃亡のおそれがあるとき、又は、証拠隠滅のおそれがあるとき、これを防止するためになされるものである。無期懲役囚には、明らかに、このようなおそれがないはずである。警察も、被疑者の逃亡や証拠隠滅を防ごうなどとは露とも考えていないはずである。
では、何ゆえに、裁判官は逮捕状を発布し、警察はこれを執行したか。
明らかに、逮捕勾留期間(23日間、別件の逮捕が繰り返されればさらに23日間)中に、被疑者を取調べ自白させることが目的となっている。
被疑者には黙秘権が保証されているのだから、取り調べに対し黙秘し、あるいは、そもそも取り調べに応じなければよいはずであるが、実際にはそうとはならない。刑事訴訟法は、「逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる」(198条)としており、最高裁は、この条文の反対解釈として逮捕勾留中は取り調べを拒否できないと判断している(ただし、この条文は、身柄拘束中の被疑者の取り調べ受忍義務を直接には語っていない。身柄非拘束の被疑者は取り調べを拒否できる、身柄拘束下の被疑者については身柄拘束中であるために勝手に退去できない、という当たり前のことを言っているにすぎず、身柄拘束下の被疑者の取り調べの可否については憲法や他の法律及びそれらの解釈に従うべきことを言っていると解釈すべきであろう)。これでは、黙秘権は絵に描いた餅でしかない。
一般に、法律の規定が憲法に反すれば、それは違憲無効となる。黙秘権は憲法に定められた権利である以上、上記刑訴法の規定が最高裁のいうようにしか解釈できないのであれば、これは無効というべきである。そして、黙秘権を侵害した上で得られた自白は証拠能力を否定されなければならない。
このように解釈され、運用されれば、無理な逮捕勾留、不当・違法な取り調べは、なくならないまでも、著しく減少するであろう。
しかし、裁判官も捜査機関も取り調べのための逮捕・勾留を実施し、新聞等のマスコミもこの点を問題とはせず、事件の重大性と逮捕の事実に集中している。
〈日本と異なる米国の現実〉
アメリカでは、逮捕は日本より緩やかに実行されるが、取り調べの期間は1,2日であり、しかも、黙秘権を行使したり、弁護人を依頼すれば、その後は取り調べができない(もっとも、実際には、警察は巧みに被疑者からそのような権利を放棄させて、欺瞞的な、あるいは、厳しい取り調べを続行し、自白を取ることが頻発しているが。なお、虚偽自白は、日米ともに、主要な冤罪原因の一つとなっている)。
しかも、逮捕後は速やかに裁判の下に引致され、保釈の審判がなされる。州によって保釈の要件は異なるが、殺人事件でも、比較的容易に保釈が認められる(ただし、死刑事案で有罪の見込みがあるときは、保釈を認めない州が多数と思われる)。
今、弁護士が著者であるFalse Oathという小説を読んでいるが、そこでは殺人の容疑者が50万ドルの保釈金、モニターの足首装着、他州への移動禁止などの条件ではあるが、保釈を認められている。なお、保釈金保証業者がいるので、被疑者が用意しなければならない金額は5万ドルとなる。
もっとも、保釈が認められない場合がある。逃亡の恐れ、証拠隠滅の恐れ、再犯の恐れ(地域社会への加害の恐れ)がある場合である。身柄拘束の理由がこの三つの場合に限られ、かつ、逮捕後速やかに裁判官の下に引致され保釈の有無の決定をするという体制の下では、終身刑下の囚人を逮捕する意味がない。取調べのために被疑者を移送したり、捜査官が刑務所を訪れ取り調べをすることで対処するであろう。
そもそも、アメリカでは、刑事事件の被疑者・被告人は事件の一方当事者(party)であるとされる。司法の遂行の妨害を排除するための身柄拘束はあっても、他方当事者である訴追側に当事者である被疑者・被告人が義務を課されるいわれはない。
我が国の戦前は、訴追側が主体、被疑者・被告人が客体という立場に置かれ、被疑者は権利主体ではなく取り調べの対象でしかなかった。戦後、アメリカ風の刑事訴訟法が導入されたが、そこにはいくつもの戦前的感覚の規定が残存した。前記198条もその一つというべきであり、早期に改正すべきであり、そうでなくても、憲法に適合的に解釈しなおすべきであろう。