〈修正憲法5条の州への適用問題〉
2018年12月6日、アメリカ連邦最高裁は、二重の危険に関する事件の審理に入った。そこで、二重の危険に関する日米比較を試みてみよう。
「二重の危険」とは英語では「Double Jeopardy」である。連邦憲法修正5条が、「何人も、同一の犯罪について、重ねて生命または身体の危険に晒されることはない。」としているのがこれである。
今回、審理に入った事件は、アラバマ州の州民である被告人が銃の違法所持で同州の裁判所で確定有罪判決を受けたところ、今度は同じ銃所持につき連邦地裁で有罪判決を受け、これに対する控訴を退けられたので、これは二重の危険を禁ずる修正憲法5条に反するとして連邦最高裁に上告を申し立てたというものである。
一見すると、まさに二重の危険に該当しそうである。しかし、1847年の連邦最高裁判決以来、「重複統治権理論(dual sovereignty doctrine)」という考え方により、これは禁止される二重の危険に該当しないとされる。つまり、連邦裁判所での確定判決があっても同じ行為につき州で処罰できるし、州での確定判決があっても連邦裁判所で再度裁判をすることができるというのである。若干の説明が必要である。
既にこのシリーズで何度か触れたとおり、アメリカは独立している州の連合というのが国の成り立ちの基本的コンセプトである。そこで二重の危険に関し二つの問題が発生する。第1は、連邦の憲法である修正憲法5条は州に適用されるかである。もし適用がないとすると、州自身の憲法に二重の危険禁止条項がない限り、連邦でどのような刑事裁判をしようが、少なくとも州憲法上は州は独自に刑事裁判権を行使することができるということになる。
この点に関しては本シリーズ第3回で説明した。修正憲法14条を媒介として修正憲法の人権条項を基本的人権基準説をよりどころに州にも選択的に適用させるということになっている。そして、連邦最高裁判決により修正憲法5条は州に適用されることになっているのである。これによれば、同一州内で同一行為について二度の審理・処罰をすることが禁止されるだけでなく、連邦によって確定判決があった行為につき州で再度の刑事裁判を、あるいはその逆をすることも許されなくなるはずである。しかし、ここで第2の問題が論ぜられることになる。
〈問われた重複統治権理論〉
第2の問題は、連邦と州はそれぞれ別の統治権を有するので、連邦の統治権の発露は州の統治権に影響しないのではないか、ということである。このような考え方は国際法上も認められている。たとえば、外国で日本航空機のハイジャックをした犯人が当該外国で有罪とされ処罰された後帰国したらどうなるか。日本の刑法5条は、「外国において確定裁判を受けた者であっても、同一の行為についてさらに処罰することを妨げない。」としているのである。この考え方を連邦と州に適用したのが重複統治権理論というわけである。
しかし、一方で修正憲法条項を別の統治権の主体である州に適用させながら、他方で統治権の違いを理由に二重の危険を別異に扱うことについては強い批判がある。また、感覚的にも、いかに州の連合たる国家だと言っても、一つの国であるのに、その国内で同一の行為について複数回の裁判・処罰に晒されるというのは二重の危険の基本的価値観からは違和感があろう。「2回」と言わず「複数回」と言うのは、A州での確定判決があっても、B州でも、さらに連邦でも再処罰できるからである。理屈からすると連邦と50の州に管轄権がある事件であれば51回も処罰が可能となる。
このような批判や違和感をぬぐい切れない中、今回、170年以上続いた重複統治権理論を見直すべきかが連邦最高裁の審理の対象になったのである。なお、大統領選挙に関するロシア疑惑との関連を指摘する説もある。すなわち、連邦裁判所でトランプ陣営関係者が有罪とされても大統領が恩赦を与えれば二重の危険禁止によって州での処罰ができなくなるというのである。