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 〈連邦最高裁判決の波紋〉

 2020年4月に、アメリカ連邦最高裁が陪審員裁判で有罪とするには、12人の陪審員の全員一致でなければならないとする判決を出した。9:3で有罪としたルイジアナ州裁判所の判断を維持した1972年最高裁判決の変更である。

 これまでは、全員一致を要求しない州はルイジアナ州とオレゴン州だけで、連邦も他の48州も全員一致でなければ有罪判決を出せないとしていた。

 ルイジアナ州が特別多数決(法の改正により、現在は10:2)を認めたのは、白人至上主義を維持するためであった。すなわち、少数の黒人が陪審員となっても、多数の白人陪審員により黒人被告人を容易に有罪にすることができるようにしようというのが、真の目的であった。

 また、オレゴン州は、現在では進歩的州と目されているが、20世紀初頭はK.K.K.(クー・クラックス・クラン)が大きな存在感を示しており、その影響が特別多数決制をもたらした。

 今回の判決は、全員一致制を採る連邦および48州には影響を持たないが、ルイジアナ州とオレゴン州では、どのように対応するかで議論が起きている。

 まず、現在、上訴係属中の事件は、一審判決が特別多数決により決せられていたとすれば、原判決り消しとなる。検察官が公訴を維持すれば、再公判が開かれることになる。

 過去に有罪が確定し、上訴の道が閉ざされ確定している事件はどうか。今回の最高裁判決の、「特別多数決は憲法修正6条の裁判員裁判を受ける国民の権利の侵害となる」との趣旨が遡及効(過去の確定判決に遡って効力を及ぼすこと)を有するか否かによって、扱いが異なる。今回の判決では、最高裁は遡及効の有無を明らかにしていない。現在、オレゴン州判決事案が最高裁に係属しており、そこではこの遡及効の有無が争点になっているところ、本年中にはその結論が出そうである。同州の司法長官は、確定判決の法的安定は州にとって極めて重要な事項である、従って遡及効は認めるべきではないとの主張を最高裁に提出している。

 ところで、今回の最高裁判決の多数意見を書いたのは、超保守派とみなされ、トランプ大統領(当時)が最高裁判事に指名したとき、大きな論争の対象になったニール・ゴーサッチ判事である。そのゴーサッチ判事が、判例の拘束性と安定性を主張した反対意見に対し、「全員一致はアメリカ司法の基本要素」であり、「先例の拘束性といっても、誰もが知っている真実を無視する根拠とはならない」と言明した。オレゴン州の主張する「確定判決の法的安定」についても、「誰もが知っている真実を無視する根拠とはならない」とされる可能性が高いのではないかと思われる。

 しかし、遡及効を認めると、別の大きな問題が生ずる。一つ目は、特別多数決判決か否か記録上明らかでない事件にどう対応するかである。

 二つ目は、特別多数決判決であるとしても、証拠資料が少なくなってしまっている事件の再公判が実施できるのか、である。

 三つ目は、司法取引により有罪答弁をした事件である。弁護人が、被告人に対し、「当州は特別多数決で有罪とできる。検察官の提示する罪で有罪答弁しないで裁判員裁判に行くと、検察官はより重い罪で起訴し、多数決で有罪となってしまう。ここは、我慢して軽い罪を認めてしまおう。」と言って説得したという事情があれば、判決破棄の事情になり得ようが、今となっては、これを証明することは極めて困難であろう。

 このような事情下、オレゴン州は、今回の最高裁判決に対し、特別な対応をせず、本年に出される予定の判決を待つことにしている。

 これに対し、ルイジアナ州は、期限を切って、救済の申し出を募集している。ただし、救済希望者が多数に上り、ボランティア弁護士が全国から700名参加し、その弁護に当たろうとしているが、希望者全員の要望には応えられない可能性が高い。


 〈裁判員制度での問題点〉

 さて、日本の裁判員裁判はどうであろうか。

 裁判員裁判では、裁判官3名と裁判員6名の多数決で事実認定及び量刑が行われる。全員一致ではないのである。事実認定での多数決は、刑事裁判の鉄則である「疑わしきは被告人の利益に」、「合理的な疑いを超える証明がなければ被告人は無罪」に整合的であるか極めて疑わしい。9人のうち、4人が無罪と判断しても、それは採用されない。仮に、裁判官3人と裁判員2人が有罪説、裁判員4人が無罪説とする。この場合、過半数の裁判員が無罪と考えているのに、結論は有罪となってしまうのである。

 もし、裁判員裁判制度が、国民の健全な常識を裁判に反映させようとする意味があるのであれば、そして、国民に対する刑事制裁をできるだけ慎重にしようとするのであれば、そして、それが憲法上の適正手続きの保障の意味するところであるとすれば、裁判員の過半数の意見を無視して有罪を決定することは、裁判員裁判制度の趣旨及び憲法に反するのではないだろうか。少なくとも、ゴーサッチ判事の言う、刑事司法の基本要素、本質的考え方とは相容れないように思う。

 しかも、この「多数決」が少々怪しげなのである。裁判員法(裁判員の参加する刑事裁判に関する法律)67条1項は「構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数の意見による。」と定める。 

 ややこしい表現であるが、要するに、有罪か無罪かは、単純多数決により決められるのではなく、5名以上の賛成者に少なくとも一人の裁判官及び裁判員が含まれていなければならないとするのである。過半数は5名以上を意味し、裁判官総数は3名だから、過半数に少なくとも裁判員2名が含まれる。67条1項のような規定がなくても、裁判員を含まない過半数はありえない。

 しかし、裁判官を含まない過半数はあり得る。そこで、67条1項が意味を持つことになる。つまり、裁判員6人が無罪意見であっても、そこに裁判官が含まれていないので、無罪判決は書けないことになるのである。国民の健全な常識の排除である。アメリカの陪審員裁判であれば、陪審員全員の一致による無罪評決となるべきところである。

 裁判員6人が無罪意見、裁判官3人が有罪意見のとき、さらに評議が続けられる。職業裁判官3人にとって、裁判と法律に素人の裁判員の少なくとも2人を説得することは困難なことではなかろう。このようにして出された有罪判決が正当性を持つであろうか。今回の連邦最高裁の判決の精神から言えば、明らかに「否」である。

 「疑わしきは被告人の利益に」、「合理的な疑いを超える証明がなければ被告人は無罪」、及び、適正手続きの保障という精神を少しでも生かそうとするのであれば、せめて、多数決から特別多数決(8:1あるいは7:2)へ変更すべきであろう。それが実現すれば、裁判官の入らない8人または7人の意見は存在しないので、67条1項のような奇妙な規定も不要となるのである。

 なお、仮に67条1項が最高裁により違憲と判断され、その効力に遡及効が認められても、評議の秘密(法70条)の壁を打ち破らなければ、過去の判決の是正は極めて困難となろう。この意味の誤判は永遠に維持されてしまうのである。



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