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 〈無罪判決への検察官上訴で違い〉

 

 さて、日本では二重の危険論は存在するであろうか。憲法39条がこれに関して規定する。曰く、「何人も・・・・既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。又、同一の犯罪については、重ねて刑事上の責任を問われない」

 

 これは「一事不再理」と呼ばれるもので、「二重の危険」と同一かについては議論がある。異なるとするものは「既判力説」と言われるものである。すなわち、判決が確定すれば、法的安定性の見地から同じ事件に関して問題を蒸し返さないとするのである。この考え方からすれば、「無罪とされた」の意味はその裁判が確定したことを意味することになる。従って、いつ裁判が確定したかが一事不再理の対象となるかの基準となる。

 

 これに対し、一事不再理は二重の危険防止を趣旨とするという説がある。この場合は、裁判手続きのどの段階で「危険」が発生し終了したかが一事不再理の対象となるかの基準となる。

 

 この点に関し、1950年の最高裁判決は控訴は二重の危険禁止に触れないとしているので、一応、前説を採用しているものと言えよう。

 

 ここで、日米の二重の危険の比較をしてみよう。

 

 第1に、日本は合衆国制度を取っていないので、同一の行為が管轄裁判所の地域的違いにより重ねて審理されるという問題は生じない。

 

 第2に、両者はその書きぶりが異なる。憲法39条の「既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない」とする表現は修正憲法5条にはない。それでは、アメリカでは無罪判決については二重の危険は適用にならぬのであろうか。これについては1800年代の連邦最高裁判決で二重の危険の対象になるとされている。

 

 第3に、それでは、無罪判決があったとき、「危険」はいつ終了するとされるか。これについて、日米に大きな違いが見られるのである。

 

 すなわち、アメリカでは、1904年の連邦最高裁判決以来、無罪判決が出されたときに危険は終了するとされているのである。従って、無罪判決に対して検察官は上訴できないことになる。

 

これに対して、日本では、先に触れた1950年の最高裁判決で、「訴訟手続きの開始から終末に至るまでの一つの継続的状態」だとして、上訴できなくなるまでその継続状態が続くとした。従って、上訴できなくなるまで、すなわち裁判が確定するまで、検察官は上訴できることになる。

 

 この判決は、一事不再理の定めとは二重の危険法理であることを前提に論を進めるが、どうして上訴不能となるまで危険が終了しないかの理由を示さない。結局、その実質は既判力説と極めて親和的だというしかない。

 

 こうして、無罪判決に対して検察が上訴できるかが日米間の決定的違いとなるのである。

 

 

 〈1950年最高裁判決への疑問〉

 

 さて、裁判が確定するまで危険は継続するという考え方は適切であろうか。

 

 日本の裁判官制度は、実質上のキャリアシステム、昇進システムを取る。そのような環境下で、最下級審裁判所たる地方裁判所の裁判官は上級審で覆されるような判決を書けば出世にかかわる。そして、上級審での破棄を避けようとすれば、有罪率が99%を超える日本の刑事裁判では有罪判決を書くことが無難となる。逆に無罪判決を書くことには躊躇を覚えたり勇気を要したりすることになる。

 

 仮に、無罪判決に対する検察官控訴ができないとなれば、そして、誤った有罪判決のみが控訴審で覆される可能性を有することになれば、一審裁判官としても有罪判決には無罪判決以上に慎重になろう。それが、10人の真犯人を逃しても一人の無辜を出さないという刑事裁判の要諦に沿う方向ではなかろうか。

 

 それでは、憲法39条の解釈として先に見た1950年の最高裁判決の考え方が必然なのであろうか。実は、日本に示されたGHQ草案には二重の危険禁止法理が含まれていたのであるが、既判力説的な一事不再理法理はともかく、この二重の危険禁止法理を知らない日本(明治憲法にはこの法理は存在しなかった。)がこれを削除し、GHQの求めに応じて再びこれが入れられたという経緯がある。

 

 そうとすると、日本国憲法の二重の危険禁止法理は、アメリカの二重の危険禁止法理、すなわち、無罪判決で危険は終了する、無罪判決に対する上訴によって新たにその事件を審理することはまさに二重の危険禁止法理に反するという法理を導入したものだったのである。

 

 法律の解釈は、社会の変遷に従って変容することはあるが、憲法が1946年に制定されて4年しか経過していないのに、説得的説明もないまま、立法時の趣旨を大きく変えてしまう解釈の合理性は疑わしいと言わねばならない。

 

 社会の安全を保障しながら被告人のリスクと負担をできるだけ少なくしようとする二重の危険禁止法理の基本に立ち返って、もう一度憲法39条のありようを考え直してみる必要があるのではないだろうか。



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