〈司法判断と立法・行政による順守〉
我が憲法81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と定める。いわゆる違憲立法審査権である。そして、同98条は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」とし、司法により違憲とされた法令及び処分は無効と定める。
もし、裁判所がある外国人の退去強制を違法と判断したにもかかわらず、入管当局がこれを無視して当該外国人を強制送還すれば、それは違法となり、国家賠償の問題ともなりうるだけでなく、職権乱用罪等の刑事上の問題も生じうる。
この憲法が範としたアメリカ憲法はどうであろうか。実はアメリカ憲法には、違憲立法審査権を定める条項がない。しかし、実際には、1803年の連邦最高裁判決により司法による違憲立法審査権が確立され、確固とした判例法理となり、今日までこれが維持されている。
もっとも、違憲とされた司法の判断が立法・行政によって順守されるかは、違憲立法審査権の有無とは別の問題である。現に、これまで先住民や黒人の権利が侵害された事件で、関連する州が最高裁の判断に従わなかった例がある。州ばかりでなく、連邦の大統領も、判決に従わない州知事に加担して、連邦による執行協力を拒否して、「判決を下した最高裁長官に執行させればよい」という趣旨を言ったとされる。かのリンカーンも、奴隷問題に関する最高裁判決が出されたとき、一般に最高裁の判決はこれを尊重しなければならないが、これには例外があることを示唆したことがある。
以上のような微妙なバランスの崩れを経験しながらも、おおよそは司法の判断は司法・行政により順守されてきた。筆者が本連載の第7回「アメリカの司法積極主義と司法消極主義」で述べたように、ニューディール政策に違憲判決が連続して出されたとき、ルーズベルト大統領が最高裁判事の構成を変えようとしたのも、最高裁判決には従わねばならないという前提があったからである。
〈トランプ政権の送還差し止め命令無視〉
ところが、トランプ政権は、2025年3月、連邦地裁の差し止め命令を無視して、約300名のベネズエラ人をエルサルバドルに強制連行してしまった。
これは、1798年に制定された敵国人法によるものとされる。第2次成果大戦中に日系人の強制収容もこの法律により実行された。ただし、この法は戦時に適用されるもので、平時には適用されない。しかも、今回の強制連行は何の聴聞の機会も与えられずに実施された。いくつもの違法要素が認められる。法の支配が機能しなかったことになる。
その中で最も問題なのは、行政が司法の判断を無視したことである。多くの民主主義国家は三権分立体制を採る。権力は腐敗するとする権力に対する猜疑心から、立法、司法及び行政の担い手を異なる機関にして、互いに牽制させてバランスをとり、国民の権利の侵害を防ごうとするのである。かつて、王様が全権を握っていたような事態や独裁政治を阻止することを狙いとする。
トランプ大統領が、閣僚及び議会の共和党議員をイエスマンにして地位と権限を固め、司法の判断を無視するとなると、まさに王様の如くになる。彼が王冠をかぶった動画が拡散されたが、単なるいたずらではないのかもしれない。
いずれにせよ、今後、司法はどのように反撃するのか、あるいは、反撃しないのか、今回の事件の成り行きは注目に値する。