〈法的保障だけではなくならない男女格差〉
さて、日本はどうか。冒頭に紹介した通り、東京医大で行われたのは、これまでも不当に差別されてきた女性の点数を減らしてしまうというものである。アファーマティブアクションとは完全に逆方向だ。女性が大学を卒業して医師となっても妊娠や出産で離職する率が高く、そのため系列病院の医師不足となる、これを回避する必要からやむを得なかったという理由である。これに対してマスコミが吠えた。何という不公正、断じて容認できない、という論調である。
では新聞社・通信社の記者は男女平等に採用されているのか。2018年に漸く女性記者の比率が20%になったものの、それまでは20%未満である。女性記者採用が少ない理由は、取材先・取材対象の特殊性という事情も主張するかもしれないが、東京医大と大きく異なるものではあるまい。
そして、この傾向は医療、マスコミに限らない。女性の正社員就職は非常に狭い門となっているのである。
そうとすれば、これは日本社会全体の問題ではないか。少なくとも東京医大だけをたたいて済む話ではない。
筆者は最近労働問題の調査でスウェーデンを訪れた。同国では女性の社会進出が目覚ましく、世界のトップクラスを走っていることで知られている。同国では性による賃金差別は差別対策法で禁止され、育児休暇は育児休業法で保障され、所得税は夫婦単位ではなく個人単位で課されるなど、女性が男性と伍して働くための制度的保障がなされている。
そして、労働市場が流動的で一旦離職・休職しても再就職や職場復帰が容易である。このため、女性の就職率は非常に高く、専業主婦は2%程度に過ぎない。男女の収入格差も日本に比較して格段に少ない。
しかし、そのスウェーデンでも収入格差は厳然として存在する。その原因は大きく分けて二つある。ひとつは、沿革的な理由もあって、女性の就職先は教師、看護師、介護士、保育士等とパートタイム・アルバイト等の非正規雇用が多い。そして、これらの職の賃金は他と比較して低いのである。
他の原因は、出産、育児、家事にある。いくら法律で平等を保障しても、「産む性」は女性に限られる。これまでの役割分担意識、社会の生産構造の延長にある現実は、女性の育児・家事の負担を大きくする。
ひと月15万円の収入のAさんとひと月30万円のBさんが共同生活をしているとき、二人の共通の事情でどちらかが離職しなければならない事態に遭遇すれば、二人の生活を成り立たせるためにAさんが離職する選択をするであろう。二人の収入に差がない場合は、これまでの社会の意識や育児・家事環境がAさんに適合的であれば、やはりAさんが離職する率が高くなろう。
そして、現役時代の収入格差が退職後の年金の差をもたらす。
こうして、スウェーデンでも高齢独居女性の貧困問題が存在することになる。
以上見たように、生物学的基礎と沿革や現実の社会構造が一挙に覆らない限り、女性に対する法的保障だけでは男女格差はなくならないことが分かる。女性にとっての不利な要因をなくそうとしても限界があるのである。
〈女性問題は男性問題であるという認識〉
ここで視点を変えてみよう。女性の不利な要因は男性の有利性となる。女性の不利な要因を減らしたりなくしたりするのではなく、男性の有利性を剥奪してはどうか。
たとえば、20代から30代の男性は最低2年間の休暇を取らねばならないとするのである。このような施策を筆者は「ネガティブアクション」と呼んでいる。要するに、男性の有利な部分を奪ってしまおうという策である。
これによって女性の不利は大いに減殺され、他方で、男性は仕事以外の生活を知ることができるようになる。女性問題は男性問題であることを認識し実践するのである。また、社会的な生産性はゼロサムで不変(男性の仕事量・生産性の減少・低下と女性のそれの増加・向上が相補う関係になる。)となろう。男性が支配する経済界の生産性に関する心配は杞憂というしかない。
日米、それぞれの入学差別という事件から、平等という視点を改めて考えされられた次第である。