司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈「やむを得ない」「辞さず」に変えられるおそれ〉

 

 拙著「旧・憲法の心」において、「マインドコントロールされてはならない」と述べました。その思いは、今も変わりません。マインドコントロールされてしまいますと、「戦争は、絶対に避けなければならない」という日本国民の共通認識さえも、「戦争はやむを得ない」という認識に変えられてしまうおそれが出てきます。

 

 最近、若い人の中には「戦争もやむを得ない」とか、「集団的自衛権の行使は、できるようにしなければならない」という考え方の人が多くなっているように見受けられます。私の思い過ごしでしょうか。

 

 日本国民の「二度と戦争をしてはならない」という心が、「戦争も辞さず」という心に変えられることは、絶対に回避しなければならないのです。日本国憲法の「戦争の放棄」の規定が生き続け、日本国憲法の平和主義が存続できるかどうかは、日本国民の心にかかっているのです。

 

 国が創る法律を、国民主権の主役である国民が、その心に従ってコントロールしなければならないのです。国民の心が、国や政権にコントロールされては本末転倒です。

 

 法律以前に国民の心があり、その心が法律を創るのです。法律によって、コントロールされてはならないのです。法があって、心があるのではありません。心があって、法があるのです。法によって、私たちの命があるのではありません。命があるから、法があるのです。命は、憲法や法以前に存在するのであり、命は法よりも、国よりも大事なものです。こんなことは今更言うまでもないのですが、物知り顔で「戦争の必要性」を強調する一部の政治家や学者に対し、分かりきったことを言わねばならない現在の状況を心から憂えています。

 

 

 〈体験が染み込んで細胞になった「不戦」〉

 

 マインドコントロールについて「旧・憲法の心」をで述べたことを、ここでも敷衍、つまり、言葉を付け加え、噛み砕いて詳しく説明してみたいと思います。「旧」の第1章「なぜこの本を出すのか」の「2.マインドコントロールは、なぜ怖いのか」の項では、マインドコントロールの怖さを次のように述べました。

 

 「『マインドコントロールされてはならない』という点について説明する。ここで『マインドコントロール』というのは、ある目的を持たせ、そのように思い、考え、行動するように誘導することを意味する。マインドコントロールは、規則を与え、それに従うように強制し、そのとおりにすれば誉め、そうしなければ罰するなどして、次第にその規則に無意識に従うように躾けるものである。規則を用い、時には罰則を用いるのだから、法を利用する方法はマインドコントロールには有効な手段だ。法の中でも、根本法である憲法を利用すればその効力は絶大となる」

 

 私たちは、日本国憲法9条の「戦争の放棄」が、日本国憲法の基本原理だと教え込まれてきました。昭和17(1942)年5月生まれの私は、日本国憲法が施行された昭和22(1947)年5月は満5歳でした。やっと物心がつき、世の中の様子や善悪の分別、人の気持ちなどがいくらか理解できるようになっていました。この頃のことは、記憶に鮮明に残っています。最近のことよりも心に染みつき、記憶にはっきり残っていることも少なくありません。この頃は、私の人格を形成してくれた時期でした。

 

 その時に施行された日本国憲法の心は、私の心に染み込みました。日本国民は、「二度と戦争をしない」との覚悟で、憲法9条の「戦争の放棄」の規定を創り、平和主義を日本の憲法の基本原則にしたという思いが、私の心に、体に染み込みました。

 

 この私の思い込みはマインドコントロールされた結果ではなく、体験が心身に染み込んで細胞となって生まれたものです。私たちの年代の日本国民は、私とほぼ同じではないでしょうか。「二度と戦争をしてはならない」との思いは、私たちの心身に染み込んで細胞となったのです。日本国民のそのような細胞が、「戦争の放棄」の規定を憲法に掲げさせたのです。

 

 明治維新後、日清戦争(1894-1895)、日露戦争(1904-1905)、日中戦争(1937-1945)、太平洋戦争(1941-1945)と休む暇もないほど戦争に明け暮れ、敗戦に至り、無条件降伏した当時の日本人は、誰かにマインドコントロールされるまでもなく、戦争に懲り懲りしていたのです。心の底から、「二度と戦争をしてはならない」と思っていたのです。

 

 その心が、憲法9条の「戦争の放棄」、「戦力の不保持」の規定を創ったのです。それがいつの間にやら、「必要な場合には、戦争できる」とか、「限定的には戦争できる」とか、「集団的自衛権の行使としての戦争はできる」などと言い出す政治家や学者が出てきました。安倍政権は、その代表です。

 

 一体、誰が「必要な場合かどうか」、「限定されているケースかどうか」、「集団的自衛権の行使として戦争ができるケースかどうか」を判断するのでしょうか。安倍首相や石破茂・元自民党幹事長らが判断したら、「イケイケドンドン」となりそうです。歯止めがなくなるのです。「国会が歯止めをかける」と石破・元幹事長などは言っていますが、数で押し切ることになるであろうことは目に見えています。首相は大臣ポストなどをちらつかせ、政権の思い通りにするはずです。
 (拙著「新・憲法の心 第11巻 戦争の放棄(その11)」から一部抜粋)

 
 

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