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 〈アメリカの学生の過酷な現実〉

 「アメリカ・ロースクールの凋落」(ブライアン・タマナハ著、大河原・樋口共訳)(花伝社)によれば、2010年におけるロースクール卒業生の「平均」債務額は10万ドル、多い方の22校のそれは12万ドルから15万ドルとされる。なお、卒業生の90%近くが借金をしている。

 このような多額借金の原因の一つは、言うまでもなく授業料の高さにある。一流私立校の2010年当時の年間授業料は最高で5万ドルであったから、年間2万ドルほどの生活費を含めると、3年のカリキュラムを終えるまでに20万ドル以上を要したのである。

 ところが、2019年の調査結果によれば、年間授業料は増額され、最高額は7万ドルに至っている。生活費まで含めれば卒業までの総コストは約30万ドルになる。現在の卒業生の債務額も2010年当時に比べて膨れ上がっているはずである。2017年初刊の小説「ルースターバー」(ジョーン・グリッシャム著)でも、4人のロースクール生の債務額がいずれも20万ドル前後とされている。

 このようなアメリカの学生の高額借金は、法律家になって相当の収入を期待できる(この期待は多くの場合、裏切られているが。)ロー・スクール生に限られるのであろうか。

 アメリカで法律家になろうとする場合、4年生の大学を卒業後、3年制のロー・スクールを卒業して司法試験を受けるというシステムになっているのであるが(アメリカの大学には法学部がない。)、実は、今、大学レベルでの高額学費負担が問題となっている。2020年の大統領選挙に向けて20人以上の民主党候補者が名乗りを上げているが、学費の低額化、無料化、債務の減免を公約に挙げている候補者も複数名いるのである。

 というのも、アメリカの大学の授業料は州立でも(なお、連邦憲法は大学設立・運営を連邦政府の権限として定めていないので、「国立大学」は存在しない。)安くても年間1万ドル以上、私立では年間6万ドルとなる大学もあるほど高額だからである。このため、大学(ユニバーシティ、カレッジ)卒業生の3分の2が平均3万ドルの借金をし(なお、黒人卒業生の80%が平均約4万ドルの借金を負い、その内の30%の債務額は10万ドルである。)、4200万人が総額1.5兆ドルの債務を負っている。しかも、その借金の利率は、貸付金額も貸与対象人数も制限される連保政府貸付金でさえ約5%から7%、民間ローンとなると17%以上であり、ある候補者をして、「高利貸し」と言わせるほどなのである。このため、大学を卒業して就職しても、借金返済に追われ、親離れできず、結婚できず、子供を持てないという事態が多く見られるのである。

 それでも、返済を続けていられる間はまだ良い。一旦、返済が遅れ、債務不履行となると、遅延損害金や回収手数料が上乗せされる。ときには専門職資格を失い、公務員の地位を剥奪されることもある。また、学生ローンは他の消費者債務と異なり、州のサラ金規制法の規制を免れ、連邦の破産法の対象からも外れる。つまり、過酷な取り立てに遭い、破産もできないという事態になるのである。そして、実際に、卒業後5年以内に約10%の者が不履行に陥っている。黒人の場合、破綻率が平均の倍以上になるという報告もある。

 これでは、大学入学自体が大きなリスク要因となってしまう。貧困家庭の子供は教育環境に恵まれないことが多いのに、高等教育を受けようとするときの壁はさらに高いものとなってしまう。ある調査によると、アメリカにおいては、IQ指数が同じでも、学歴は社会的背景によってほぼ決まると報告されている。その大きな原因が出身家庭の経済事情と学費の高騰である。

 学校教育は、本来、社会的、経済的不平等を解決する機能を有すべきところ、逆に不平等を拡大しているのである。貧富の差の拡大再生産と貧困の連鎖の問題である。


 〈日米共通してある格差社会の固定化〉

 ところで、OECD内での貧困率は日米が非常に高い位置を占めている。また、両国における学費の高騰も顕著である。公立大学の授業料を見ると、OECD内では、1位アメリカ、2位チリ、3位日本という具合だ。

 従って、日本においても学生の経済的困窮と卒業後の学生ローンの重い負担が問題となっているのは驚くに当たらない。

 まず、大学の授業料を見てみよう。現在の国立大学授業料標準額は年間53万5800円(2019年)とされる。私立大学の平均は87万7800円(2018年)で国立の約1,6倍である。程度の差はあれ、いずれも右肩上がりである。これに、自宅外通学者は住居費等の生活費負担が大きくなる。他方で、ここ20年間、平均家計所得は上がらないどころか大きく減少し、不安定雇用が著しく増えている。高等教育に要するコストの家計に占める割合は高まった。というよりも、家計では支えきれなくなった。外部からその資金を導入しなければならなくなったのである。日本では、これを日本学生支援機構からの奨学金で工面するのが通常であろう。奨学金の利用者割合は50%を超えている。もちろん、これで不足する部分があれば、他から借入れする必要が生ずる。

 「奨学金」と言っても、原則として返還を必要とするもので、「貸付金」という方がふさわしい。しかも、その多くは有利子貸し付けであり、その利率は年3%であって、現状のゼロに近い預金利率に比較すれば相当高い。

 こうして、日本の卒業生も長年に渡って返済に苦しむことになる。返済を滞れば、日本学生支援機構からの厳しい取立てに遭い、ときには不当・違法な取立ての被害にも遭う。違法な取立てに対しては訴訟が提起されているほどである。

 さらに、この取り立てに応じられなければ破産をせざるを得なくなる。経済的に裕福でない家庭の出身者が人並みの教育を得ようとしたばかりに、破産せざるを得ない事態に陥るのである。しかも、親等が保証人となっていることが多く、その場合は、親等に多額の保証債務が残ることになる。

 なお、2019年5月に、「大学等就学支援法」が成立し、2020年4月から、大学授業料等の減免及び給付型奨学金の制度が実施される。しかし、対象となる大学及び対象となる学生の範囲は狭く限定され、援助額も十分ではない。根本的解決には程遠く、運用次第では、大学の自治及び学生の学問の自由に否定的影響がもたらされることが懸念されている。

 経済的に不利な条件が高等教育への道を狭くし、さらには卒業後の経済的困難ないし破綻をもたらす社会は、階層間移動を硬直化し、社会の多様化を妨げる大きな要因となろう。大内裕和中京大学教授は、その著書「奨学金が日本を滅ぼす」(朝日新書)の中で、次のように警告する。「奨学金制度の不備によって研究者や弁護士を目指す人たちが減れば、競争による選抜は緩和され、研究者や弁護士の質が低下する危険性があります。また、研究者や弁護士になる人の出身階層を上位に限定する可能性を高め・・・・研究者や弁護士の多様性が失われ・・・質の低下を生み出す危険性が高まります」

 実は、弁護士等の法曹になるための司法試験受験につき、日本の大学には法学部があるにもかかわらず、法科大学院卒業(大学卒業後さらに2年または3年のカリキュラムを経る必要がある。)を要件とするという経済的負荷を課す制度の導入されたのであるが、その後、法曹の質の低下が言われるようになってきている。そして、冒頭で紹介した「アメリカ・ロースクールの凋落」の中で、著者は、ロー・スクールの教育は2年で十分なはずなのに、黒人層を中心とする貧困家庭出身者の法曹への進出を妨げるためにその期間を3年にした可能性を指摘しているのである。

 日米の法曹養成を含めた教育制度の底流には、共通して格差社会の固定化がありそうである。そして、「新自由主義」の名の下に、それは拡大・強化される傾向にあるようである。




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