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 〈仮釈放がない終身刑に関する説示〉

 前回(第19回)は、有罪か無罪かにつき、アメリカの陪審員裁判と日本の裁判員裁判で、どのように判断されるかを見た。

 今回は、死刑量刑につき、両者の異同を見てみよう。

 第2回の記事に紹介したように、アメリカでは、1970年以降、死刑の判断が恣意にわたらないようにする努力が積み重ねられ、そのことにより死刑の適用範囲が狭められてきた。具体的には、有罪の認定後に量刑の審理をするという具合に、有罪か無罪かの罪責認定審理と量刑審理を分け、後者においては、死刑を選択するには少なくとも一つの刑罰加重事由を要するとしたのである。また、その加重事由も陪審員全員一致の認定を必要とすることになった。また、被告人に有利な情状を審理・考慮することを制限することは許されないとされる。

 そして、加重事由が被告人に有利な情状を上回る場合に限って死刑量刑が可能となり、その場合でも、必ずしも死刑としなければならないわけではなく、仮釈放のない終身刑を科すことも許される。被告人にとっては、ここが生か死かの分かれ目である。

 この点は、陪審員にとっても非常に悩ましい問題である。人の命を奪うような判断は避けたいが、死刑にしなければ、この被告人は将来、また、同様の犯罪を犯しかねないと考えるような場合である。

 そこで、連邦最高裁は、将来の再犯が争点となるような場合は、公判裁判官は陪審員に対し、終身刑は仮釈放のないものになるとの説示をしなければ、憲法の定める適正手続に反すると判示した。つまり、陪審員は、被告人には再び社会に出て犯罪を犯す機会はないことを知った上で、死刑か否かの判断をしなければならないとしたのである。

 なお、アメリカ国立科学財団の助成を受けてなされた実態調査は、量刑判断するに当たって、誤解によって終身刑の実際の刑期が短くなると考える人ほど死刑に傾くと報告しているとのことである。


 〈無期刑に関する説明が求められる裁判員裁判〉

 さて、日本の裁判員裁判法は量刑をも、裁判員と裁判官の合議体で定めるものとされている。この量刑判断も、前回紹介したように怪しげな多数決によるのである。すなわち、裁判員6名全員が無期刑相当と考えても、一人の裁判官の賛成が得られなければ最終的な量刑判断とは認められない。また、裁判員の過半数である4名が無期刑相当と考えても、裁判官3名と2名の裁判員が死刑相当とすれば、被告人には死刑の判断が下されるのである。

 ところで、「無期刑」とは何か。これは有期刑に対比される言葉で、懲役の期限が定められていない懲役刑または禁錮刑を指す。期限の定めがないというだけで、死ぬまで出所できない「終身刑」とは異なる。そして、日本の刑法に終身刑の定めはない。また、無期刑囚は法律上は10年の服役後、仮釈放が可能となる。

 そこで、裁判員がアメリカの陪審員と同様な迷いを持つ可能性が出てくる。死刑には忍びないが、無期懲役にしても10年後に出所してしまうのでは、社会の治安が守れない、との悩みである。

 ここで、無期懲役の実態を見てみよう。

 法務省の犯罪白書によれば、無期受刑者の平均在所期間は31年を超えている。また、刑務所内で死亡する無期受刑者数は年々増加しており、2016年は仮釈放者数は7人であるところ、獄死者は27名となっている。

 要するに、日本の無期刑は終身刑に近い運用がなされるようになっているのである。

 裁判員の誤解の上に死刑判断が下されてはならない。もし、裁判員が上記のような心配をする可能性があるのであれば、裁判官は裁判員に対し、無期刑の実態をしっかり説明しなければならぬのではないだろうか。日本国憲法31条も適正手続きの保障を定めていることを忘れてはならない。

 なお、死刑廃止論者の中には、(仮釈放のない)終身刑の導入を提唱する論者がいる。

 将来出所する望みを絶って、死ぬまで刑務所で過ごさなければならないとする刑が、憲法36条の「残虐な刑罰」に当たらないかは、別途、慎重な検討が必要であろう。



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