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 〈重複統治理論に関する判決〉
 

 第10回「二重の危険の日米比較」で、アメリカの「二重の危険」と「重複統治権理論(dual sovereignty doctrine)」の関係に触れ、州によって一度罰せられた同一の行為が連邦で、あるいは他の州で罰することが許されていると述べた。そして、このような実質上二重処罰とも思われるような制度の合憲性を問う事件が、改めて連邦最高裁に継続していると記した。

 今回は、その裁判の結果を紹介しよう。

 結論として、連邦最高裁は、7:2の多数で従来の見解を維持した。すなわち、州で処罰した行為を連邦あるいは別の州で、または連邦で処罰した行為を州で処罰することは許される、としたのである。

 その理由は以下のとおりである。

 第1に、合衆国または各州は、それぞれ別個の統治主体であるから、それぞれが刑事法を持つことができ、それらの法は互いに異なる法である。これに反する行為は、異なる法ごとに別々の犯罪を構成する。したがって、同一の犯罪を複数回処罰することにはならない。

 第2に、このような考え方は170年以上維持されている確固としたルールとなっており、法の安定性を考えれば、軽々に変更する事情はない。

 第3に、このような法理を認めなければ、それぞれの統治主体の主体的刑事政策を維持できない。例えば、ある州がある行為を犯罪として認定し、それに軽い処罰を課したとき、その行為が連邦(あるいは他州)のより重大な利益を侵害したとしても、もはや罰することができないとしたのでは、連邦(あるいは他州)固有の秩序を維持できなくなる。

 第4に、第3と共通の論理だが、上記法理を否定したのでは、他国で処罰を受けた者の同じ行為をアメリカでは処罰できなくなる。殊に、当該他国の法が不適切な場合の弊害は大きい。

 この判決に対しては二名の裁判官の少数意見が付されている。一人は、進歩派判事として絶大な人気を博したギンズバーク判事であり(なお、同判事はこの判決後間もない2020年9月に亡くなった。)、他の一人は、当時のトランプ大統領に指名され、その保守的傾向から民主党の強い反対にもかかわらず上院で承認されたゴーサッチ判事である。

 この判決当時、トランプ大統領陣営関係者の恩赦及び大統領退任後の連邦犯罪での刑事訴追を想定してのトランプの自己恩赦が話題となっており、他方でニューヨーク州検察官が連邦とは別にトランプ大統領について刑事捜査を進行させていたのであり、ゴーサッチ判事が二重の危険により、一方での刑事処罰は他方での再度の処罰を禁止すべきだとした少数意見には生臭さを感じないでもない。


 〈少数意見の説得力〉

 それはともかく、少数意見の理由は以下のとおりである。

 第1に、理論はともかく、現実を見れば、アメリカは連邦政府と各州を合わせて一つの統治単位となっている。重複統治という前提が現実のものとなっていない。実際には、各主体(連邦や州)による起訴が、一つのアメリカという国の各部署による起訴と言えるものであり、二重の危険と言える。

 第2に、これと関連するが、連邦の刑事法が大きく拡張し、これまで州の管轄とされた場面にまで入り込んでいる。そのため、処罰対象が広く重複し、重複統治権理論により二重の危険を認めないことによる個人の権利の侵害は大きくなる。

 第3に、修正4条(不合理な捜索・押収から保護される権利)、同5条(自己負罪拒否特権)違反による採取証拠は、憲法違反行為が連邦によってなされたか州によってなされたかにかかわらず、重複統治権理論を援用することなく、連邦の法廷でも州の法廷でも、同各条を適用して排除される。

 第4に、主権の根源は被統治者(the governed)にある。重複する政府は、人民(people)・アメリカ国民の権利保護・保障のためにある。人民の権利を侵害するために重複統治(sovereign=主権)が援用されてはならない。

 なお、この最後の論拠については、日本の憲法学会でも議論のあるところである。

 すなわち、主権の究極の淵源としての「国民」は、国民総体としての抽象的、理念的主体を指し、個々の権利や権限の主体としての「国民」は、具体的個々人や具体的選挙民である、と分けて考え、日本国憲法の「国民主権」という場合は、どちらの国民を指すのかのという議論である。ときに、前者を「国民主権」、後者を「人民主権」と呼ばれることもある。

 少数意見の、主権の根源は被統治者であり、州と連邦という統治構造は、被統治者である人民の権利を守るためであるとする主張は、上記の区別(抽象的国民概念と具体的国民概念の区別)を否定することになろう。

 また、連邦と州の二重統治構造は、国民の権利保障のためだとする主張は、それぞれの独立した州(邦=くに)の連合体がアメリカだという歴史的成り立ちと必ずしも整合的ではないように思われる。

 しかし、建国後300年以上経過し、建国当時は州の固有の権限と考えられていた事項も、その多くが連邦も管轄するようになり、そのため、州の定める犯罪類型の多くが連邦の処罰対象犯罪とされるようになっており、他方、交通機関の発達で、国全体が機能的に縮小し、経済的にも文化的にも各州が相互に近似してきており、重複統治論による二重処罰がいつまで国民の理解を得られるのか、興味のあるところである。その意味で、少数意見の第1及び第2の論拠は、強い説得力を有するのではなかろうか。

 なお、第20回「死刑の誤判」において、「加重事由が被告人に有利な情状を上回る場合に限って死刑量刑が可能」と記した。

 しかし、2006年の連邦最高裁は、加重事由と減軽事由が均衡するときも死刑宣告ができると判決した。したがって、上記を、「被告人に有利な情状が加重事由を上回らない場合に限って死刑量刑が可能」と訂正する。






 



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