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 新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐり、筆者が居住している神奈川県鎌倉市で、ちょっと信じられない事態が起きた。報道によると、今月12日、鎌倉市役所集団接種会場で、ファイザー社製のワクチン1本に白い異物の混入しているのを薬剤師が発見。異物が見つかったワクチンの瓶1本は使用せずに回収し、市は今後ファイザー社に分析を依頼するとしているが、問題は異物が混入していたワクチンと同じロット番号の他のものについては、異物がないことを確認しているため、この会場で予定通り使用したというのである(テレビ神奈川・YAHOO!ニュース)。

 素人考えと言われるかもしれないが、この対応にはどうしても疑問を持つ。異物混入についてどう確認されたかというが、少なくとも同一ロット番号のワクチンの使用は、ただちに停止すべきだったのではなかったか。異物の正体も分からず、肉眼だけでの確認(肉眼で確認できなければ問題ない異物とも断定できないはず)だとすれば、この安直さは人体に注入するワクチンへの対応とは、およそ思えないのだ。

 しかも、同県相模原市でも、11日から14日にかけて、市内の接種会場や医療機関などで、この同一ロッドのファイザー製ワクチンから、相次いで異物が発見されている(FNNプライムオンライン)。

 なぜ、ここで慎重な対応が選択されなかったのであろうか。嫌な感じがするのは、一も二もなく進む、コロナ対策としての、ワクチン接種への傾斜が、この対応を後押ししているように見えてしまうからであり、その危うさを感じることに社会がマヒしかかっているように見えてしまうからだ。

 そもそもワクチン接種そのものへの慎重論は、この社会で既にフェアに扱われていない。コロナ対策は、目下、ワクチン接種にかけるしかないように扱われ、そのため、接種の不安をかき立てることにつながる論調は、極力排除し、接種に前向きな世論のムードをリードすべきで、それが正義であるとする「バイアス」が存在しているようにみえる(「ワクチン接種慎重論への扱いにみる危うさ」)。

 しかし、もはやコロナ禍の「出口」をワクチン接種だけに求める傾向そのものが、危ういというべきではないだろうか。変異株に対する効果への疑問や、ワクチン接種は重症化予防には効果があっても、感染予防には万全でないことが言われ、集団免疫につながること自体が怪しくなっている。

 その一方で、治療薬あるいは治療こそ「出口」という見方に立てば、既存薬イベルメクチンなどの活用や、感染症法上の類型を2類から、季節性インフルエンザと同じ5類にすることこそ、急がれるべきではないだろうか。逆に、現状は、ワクチン接種への期待と傾斜が、前記もう一つの「出口」論を進ませることを阻害している観すらある。少なくとも、社会ムードは依然「ワクチン」にすがりつくものだ。

 さらに奇妙な気持ちにさせられるのは、今回のワクチンについて、過去の薬害の経験に結び付けた慎重論が、いまだ広がっていないこと。とりわけ、それを過去の法的な問題として、一番知っているはずの法律家から、そうした切り口の声があまり聞かれないことである。

 妊婦の服用で手足や耳に奇形を持った子どもが生まれる世界的な薬害禍を引き起こした「サリドマイド」。日本で睡眠薬(1958年発売)や胃腸薬(1960年発売)として販売されたこの化学物質は、1961年11月に西ドイツ(当時)の小児科医警鐘を鳴らし、ヨーロッパではすぐに販売中止となったが、日本では1962年9月まで販売された。

 「動物実験では、ネズミにサリドマイドを大量にのませても死にませんでした。そのため、ヒトにも安全だろうと思い込んだことが一因です。そのうえ、レンツ博士が警鐘を鳴らし、ヨーロッパで販売中止になっても、日本のマスコミはそれをほとんど報道しなかった。むしろ当初は、『サリドマイドによって胎児に重大な奇形が起こるのは考えにくい』といった専門家のコメントを載せていたのです」

 「ところが、胎児奇形を起こすことが世界的に認められる流れになると、マスコミは一斉に手のひらを返して薬害だと騒ぎ始めた。しかし問題が明らかになるのは多数の被害者が出た後なのです。いまのワクチンをとりまく状況は、当時の教訓が生かされていないように感じてしまいます」(佐藤嗣道・東京理科大学薬学部准教授、厚生労働省医薬品等行政評価・監視委員会委員。女性セブン2021年8月12日号 )

 1980年代に発生した血友病患者への血液凝固因子製剤(非加熱製剤)の使用で、多数のHIV感染者・エイズ患者を生み出した、いわゆる薬害エイズ。問題化したのは同年代後半以降であり、1985年の時点で厚生省、血友病専門医、製薬会社がどういう姿勢であったのか、多くの医療関係者も法律関係者は知っているはずである。

 コロナウイルスへの恐怖、あるいはコロナ禍以前の社会への回帰願望が社会に充満していても、やはりムードが危うさをこえて、それを後押しすることは、のちに大きな禍根につながる危険性がある。それこそ、このムードのなかで、専門家といわれる人々こそが、警告すべきことではないのか。

 冒頭のワクチン接種をめぐる対応の軽さは、このワクチンをめぐる奇妙で危うい、日本の現状とつながって見える。



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