〈仮説に基づく対策〉
さて、それでは最高裁判所は、このような調査結果を示されて、参加率の上昇のために今後如何なる手を打てるであろうか。折角行ったこの調査の結果を有効活用することは出来るであろうか。
審理予定日数の増加傾向については、本来裁判員裁判だから審理に手を抜くなどということの許されないことは明らかであるからその日程の短縮は有り得ない。制度当初言われていた「一件の審理日数平均3、4日」などということは本来許されないことであった。
雇用情勢の変化、高齢化の進展は、裁判所としては手の打ちようもないことである。
弱い相関しか見られなかった名簿規模の縮小については、今さら予算を増額して抽出数を増加させるなどということも無意味であろう。
国民の関心の低下については可能性が否定できないと言っても、元々国民の求めた制度ではなく、さしたる必要性もなく、しかも緊急性ゼロなのに拙速で立案・立法化されたもの、先の大法廷判決によれば「その目的を十全に達成するには相当の期間を必要とすることはいうまでもない」制度であれば、今何らかの策を講じて国民の関心を呼び起こすことなどできるものではない。
国民の関心は元々なく、これ以上低下しようもないほど低かったものであり、今さら低下をしたか否かを仮説として取り上げることも憚られることではなかったかと思う。そのことは調査者も、その委託者である最高裁も十分に分かっていたであろう。
それでもかかる上記の仮説を掲げたということは、この調査は、裁判員制度の円滑な運用に資することを目的とするというよりは、制度の不人気のために参加率の向上の目処が立たない状況であっても、最高裁としては制度運用者である立場上何らかの対策を講ぜざるを得ず、参加率の向上にはそれなりに努力している、前記2016年の朝日新聞の記事にあるように「対策の検討」はし、それを実行したという一種のアリバイ作りを図ったのではないかと忖度する。
要するに最高裁判所としては手の打ちようがないということになるのではないか。現時点では最高裁が何らかの対策案を示したとの情報には接していない。