〈憲法の心から考える日本の防衛〉
国連は、原則として武力の行使を否認しています。武力の行使は、国際的に原則として認められていないのです。ただ、国連は3つの例外を認め、次の場合には武力の行使を認めています。1つは、国連の集団安全保障としての措置の場合、2つは個別的自衛権行使の場合、3つは集団的自衛権行使の場合です。この3つの例外を認めているか否かが、日本国憲法と国連憲章の根本的違いです。
国連の考え方によれば、日本が外国から攻撃された場合の防衛のやり方としては、まず、国連の集団安全保障の措置を待つことになります。国連が集団安全保障の措置をとるまでの間は、個別的自衛権の行使、または集団的自衛権の行使によって、日本単独ないし同盟国と一緒に、武力を以て対抗することになります。
国連憲章に則れば、この3つの例外の場合は、日本は武力で防衛することができることになります。しかし、日本国憲法には9条の「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」の規定がありますから、これらの場合でも、日本は武力の行使や戦争はできないと考えなければなりません。
日本国憲法には、国連憲章と違い、「戦争放棄」に例外規定は置かれていません。例外としても、戦争できるという規定はありません。ですから、日本は、例え日本を防衛するためであっても、武力の行使や戦争はできないことになっています。それが憲法9条です。そのことを無視したら、明らかな憲法違反です。首相などの国家公務員がそのような言動に及ぶことは、「憲法尊重擁護義務」違反です。
私は、日本においては、日本国憲法が国連憲章に優先すると考えています。日本国憲法は、日本国の根本法なのです。日本は、まさに独立国家なのです。ですから、日本では日本国憲法が最優先されなければならないのです。それに勝る法律も、条約もないのです。
憲法は、「国に対する、政権に対する国民からの命令」です。「国や政権の国民に対する義務」を定めたものですから、憲法に反する法律を創ったり、条約を結ぶことはできないのです。
そこで、「日本国憲法は、どのようにして日本の防衛をしようと考えているのか」、「武力を行使しないで防衛ができるのか」という問題が生じます。ここでは、それを考えてみようと思います。「武力攻撃に対しては、武力で対抗する」という考え方は分かりやすいのですが、「本当にそれでいいのだろうか」、「他に方法はないのだろうか」、「憲法はどう考えているのだろうか」と、とことん考えてみなければなりません。
人類の英知、つまり人間の持っている本質を見通す、深く優れた知性を結集して、その方法を見つけなければならないのです。この問題は、日本人、そして世界の人々の命に関わる重大事です。本気で考えなければならないことです。今を生きる者としては、過去の反省に基づき、将来の子孫に悔いを残すことのないように、全力でぶつかっていかなければならない問題です。
日本国憲法を読んでみても、「日本国が攻撃された場合にどのようにして防衛するべきか」について、直接にその具体的な方法を書いた規定は見つかりません。ただ、関連がある表現としては、前文に、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分があるだけです。
ですから、日本国憲法が、日本が外国に攻め込まれた場合にどのようにして防衛するつもりでいるのかは、この前文や憲法9条が創られた経過、そしてこの憲法の心、即ち、憲法の根底に流れる「永久不変、世界普遍の真理」などを手がかりにして、探り出すほかないのです。
〈9条死守こそ日本防衛の具体的方策〉
私は、国連憲章によって、わが国が防衛するのが日本国憲法の心だと確信しています。現時点においては、具体的には国連の集団安全保障の措置によることになります。それができないときは、個別的自衛権及び集団的自衛権によって防衛することになります。
「日米安全保障条約をとう考えるべきか」という問題もありますが、集団的自衛権の一つと捉えられるのではないかと考えています。現実問題としては、日本が北朝鮮や中国から攻撃されたら、まず日米安全保障条約によって米国の力で防衛されることになるのではないでしょうか。
このように、日本が外国に攻撃された場合、国連の集団安全保障によって防衛することになります。それが間に合わない場合には、当面は集団的自衛権の行使の一つとして、日米安全保障条約によって、米国に日本国を防衛してもらいことになります。同盟国的存在である韓国やオーストラリアに守ってもらうこともあると思います。場合によっては、多国籍軍によって守ってもらうことになります。
そう考えると、「集団的自衛権の行使を認めることになるのではないか」という疑問が湧きますが、私はこのような場合でも、日本は戦争はできないし、すべきではないと考えています。憲法9条は、「交戦権を否認」しているのです。
問題は、自衛隊です。自衛隊がある以上、米国や多国籍軍や国連より先に、まず自衛隊が反撃すべきだと考えるのが普通だと思います。米国や韓国やオーストラリアや多国籍軍が反撃する前に、国連の集団安全保障としての武力行使の前に、自衛隊が反撃すべきだと考えるのが普通だと思います。
ですが、私は、日本国憲法が「日本は、戦争はできない」と規定している以上、日本は武力行使はできないのであり、自衛隊の武力を行使しての反撃はできないと考えています。それが、日本国憲法の心だと信じています。
そもそも、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を規定した日本国にあって、自衛隊が存在すること自体、矛盾です。自衛隊は、憲法違反の存在です。いろいろと理屈を並べ、「自衛隊は合憲だ」という人も少なくありません。ですが、それは「憲法の自殺」です。
私は既述の通り、「自衛隊を、軍隊から国際救助隊に変えるべきである」という考えに至っております。自衛隊を戦力ではない存在にするのです。自衛隊が戦力ではない存在になれば、自衛隊は憲法違反の存在ではなくなります。「まず、自衛隊が戦え」という議論は出てきません。
私は、「日本は、防衛のためであっても戦争はしない」というやり方が、最も日本の安全に役立つ具体的・現実的方法であると確信しているのです。日本国憲法は、「戦争をしない」という方法で生き残る途を選んだのです。私は、そは単なる理想ではなく、現実的に最も効果的な防衛方法だと確信します。そのことは歴史が物語っています。湾岸戦争はそれを実証しています。
「戦争をしない」という方法で防衛するためには、まず、戦争になりそうな状況を創らないことです。まず、そこに全力を注ぐべきです。戦争になりそうな状況を創らないためならば、どんな犠牲を払っても惜しくはないのです。戦争で失うものよりも大きな犠牲などないのです。
戦争状態なったら、まず日本にある原発が攻撃され、国連の集団安全保障の措置等を待っている余裕はないと思います。日本を防衛する方法は、戦争状態を創らないことです。その具体的方法が、憲法9条の「戦争の放棄」と「戦力の不保持」と「交戦権の否認」です。これを厳守することが、日本を防衛する唯一の方法です。
ここのところが、武力で防衛するという考え方との根本的な違いです。軍事力で防衛はしないのです。戦争はしないのです。戦争になりそうな状況を創らないのです。それによって、日本を防衛するのです。「日本が北朝鮮や中国に攻撃されるかもしれない」という危機感を生み出している原因は、領土問題、歴史認識、軍事力競争です。それらの問題に、こだわらなければいいのです。戦争をするくらいなら、島一つやってもいいのです。過去の歴史問題より、現実問題を優先させるべきです。戦争をしてまでこだわらなければならない問題など、この世にはないのです。
真実を見極め、戦争状態に近付かないようにすることが、最善の防衛方法です。安倍政権の一連の動きは、これに逆行しています。日本を防衛する現在の具体的方策は、まずは安倍政権の支持率を下げ、その暴走を止めることです。
そして、憲法9条の「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」の規定を死守することです。「誰かが日本を防衛してくれるだろう」などと考えないで、私たち日本国民一人一人が9条を死守することが、日本を防衛する唯一の具体的方法なのです。政治家も最高裁判所も、全面的にあてにすることはできません。
(拙著「新・憲法の心 第7巻 戦争の放棄(その7)」から一部抜粋)
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