〈芦田均の「憲法改正の動機」演説〉
「此の議事堂の窓から眺めてみましても我々の目に映るものは何であるか。満目蕭条たる焼野原であります。そこに横たわっておった数十萬の死體、灰燼のバラックに朝夕乾く暇なき孤児と寡婦の涙。そのなかから新しき日本の憲章は生まれ出ずべき必然の運命にあったと、内閣はお考えにならないか」
「独り日本ばかりではありませぬ。戦いに勝ったイギリスでも、ウクライナの平野にも、揚子江の楊の蔭にも、同じような悲嘆の叫びが聞かれているのであります」
「この人類の悲嘆と社会の荒廃とを静かに見つめて、我々はそこに人類共通の根本問題が横たわっていることを知り得ると思います」
「この人類共通の熱望たる戦争の放棄と、より高き文化を求める要求と、よりよき生活への願望とが、敗戦を契機として一大変革への途を余儀なくさせたことは疑をいれないと思う」
昭和21(1946)年7月9日、衆議院における憲法改正委員会で芦田均委員長は、憲法改正の動機をこのように説明した。中央大学の憲法の授業は、同大学橋本公亘教授だった。橋本教授は、大教室の隅々まで届く大きな声で、芦田均委員長の憲法改正の動機の前記部分を読み上げた。
橋本教授の抑揚をつけた朗読には熱気があり、その声は大教室一杯の学生皆の耳から頭に浸透していった。一言一句も聞き漏らすまいと聞き耳を立てた。その一言一句が頭に入ってきた。頭に入ったのみならず、その一言一句は心に染み込み、生涯忘れることができなくなった。
感動した。涙が滲んだ。芦田均憲法改正委員会委員長の、戦争は二度としてはならないという思いに「そうだそうだ」と頷きながら、その文学的な表現力に魅せられた。橋水教授の戦争は二度としてはならないという思いもストレートに伝わって来た。こんな素晴らしい演説を知らなかったことを悔いた。
日本国民の中にも知らない人がいるのではないかという気がしてきた。日本国民に、否全人類にこの演説を知らせたい。それを知らせることを自分の使命にしようという思いが湧いてきた。そのためには勉強して、いつか何らかのこの演説を一人でも多くの人に知らせたいという思いが湧いてきた。その思いは、あれから60年経過した現在も変わっていない。その思いは、より強くなっている。
これまで駄弁本で、講演会で、幾度となくこの憲法改正の動機を演説してきた。その回数は数えきれない。それほどこの演説に心酔している。素晴らしい演説だ。心の底からそう思っている。今回も書いたが、これからも紹介し続ける。安倍元首相に与した政治家や憲法9条改定に賛同する国民には特に知らせたい。
戦争の悲惨さは筆舌に尽くし難い。戦争は惨めで、むごたらしく、悲しくて、心が締めつけられるものであることを忘れてはならない。この演説は、この短い言葉の中に戦争の悲惨さを語り尽くしていて、強く胸に響いた。
弁護士になりたいと思ったのは、この芦田均氏の憲法改正の動機の演説を橋本教授に読み聞かされたことがきっかけだった。これは人生という長い目で見ても大事な縁だった。このことは地方弁護士の社会的使命を語る上では忘れることができない出来事である。
〈「ウクライナ戦争」との運命的な繋がり〉
芦田均氏は、後に第47代内閣総理大臣となった。この演説の中で、「戦勝国のイギリスでも中国でもウクライナでも悲嘆の叫びが聞かれる」と言われた。戦勝国側だって、戦争の悲惨さを味わっている。戦争は誰にとってもよくないということを、短い言葉で的確に、広い視野で、しかも文学的に表現している。
戦勝国として、イギリスと中国の名前を挙げたのは、それなりに理解できる。しかし、ウクライナを挙げたのは何故だろうかという疑問は当時から湧いていた。ウクライナは、それほど知名度の高い国ではない。日本には、それほど馴染みがない。多くの戦勝国の例として、ウクライナを持ち出したのは何故かという思いが湧いていた。
その後芦田氏は、ロシアで外交官生活の第一歩を踏み出したとの経歴を知り、ロシアに近いウクライナは、芦田氏にとって身近だったのではないか、と一応は納得できた。それにしても、やはりウクライナは何故だろうという思いは残った。
だが、今これを書きながら、芦田氏がウクライナの名前を挙げたことに運命的なものを感じる。それは今、世界中を揺るがしているプーチンのロシア軍がウクライナに侵攻しているという暴挙の発生にある。芦田氏の演説にウクライナが出たのは、何か縁という不思議な世界があるような気がする。
芦田氏のこの演説から76年経って、プーチンのロシア軍がウクライナに侵攻し、民間人を大量に虐殺しているとの連日のニュースに接し、よりこの演説に特別の感慨が湧いた。芦田氏は、第三次世界大戦のきっかけともなりかねないロシアのウクライナ侵攻を予測していたのであろうか。芦田氏のこの演説は、日本国民に、否世界人類に今こそ知ってほしい。
この演説を地方住民に知らせるだけでも、地方弁護士の役割の一端を果たせるのではないかという思いがする。この論稿は憲法についてではなく、地方弁護士の社会的使命に関して述べるものである。その社会的使命は、人命と人権を守ることであり、そのためには戦争阻止の考えを発信しなければならない。チャンスがあれば、すぐに発信することが、その使命の実践と考え、これまでもこんなことを述べてきたし、今も述べている。
芦田氏が「ウクライナの平野にも、悲嘆の叫びが聞かれる」と語ったことに、今となって運命的な何かを感じてしまう。今この時、芦田氏のこの演説を世に知らせなければという使命感が湧いてきて止まらない。その思いはロシア軍によるウクライナの民間人大量虐殺のニュースによって一層強くなっている。戦争は絶対にしてはならない。ウクライナの平野に再び悲嘆の叫びが聞かれている。芦田氏の「ウクライナの平野にも」という一言には、特別の感慨が湧く。
(拙著「地方弁護士の役割と在り方」『第2巻 地方弁護士の社会的使命――人命と人権を擁護する――』から一部抜粋)
「地方弁護士の役割と在り方」『第1巻 地方弁護士の商売――必要悪から必要不可欠な存在へ――』『第2巻 地方弁護士の社会的使命――人命と人権を擁護する――』『第3巻 地方弁護士の心の持ち方――知恵と統合を』(いずれも本体1500円+税)、「福島原発事故と老人の死――損害賠償請求事件記録」(本体1000円+税)、都会の弁護士と田舎弁護士~破天荒弁護士といなべん」(本体2000円+税)、 「田舎弁護士の大衆法律学 新・憲法のこころ第30巻『戦争の放棄(その26) 安全保障問題」(本体500円+税)、「いなべんの哲学」第1~16巻(本体1000円+税、13巻のみ本体500円+税)も発売中!
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