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 〈改正手続に従っても侵せない三大原則〉

 もう一度、憲法前文に目を戻しますと、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し…日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と明記されています。

 この憲法は、再び戦争が起きないようにする目的で創られたものなのです。ですから、日本国憲法は戦争ができる方向には改正できないのです。戦争ができる方向への改正が、この憲法の目的に反するものであり、許されないという考え方は、理論上極めて明確なはずです。

 いろいろな理屈を付け、戦争ができる方向へ憲法を改正しようとする動きもありますが、理論上は、そのような理屈は、自分勝手な理屈で屁理屈なのです。立派な肩書きを持つ学者が、もっともらしい屁理屈を並べ、自衛戦争や集団的自衛権の行使としての戦争は許されると語っている姿を見ると、腹が立って仕方がありません。

 これらの憲法前文及び憲法11条、97条を熟読玩味、つまりよく読み込んで、その意味・内容を深く味わってもらえれば、たとえ憲法96条の憲法改正の手続に従っても、改正できないことがあることに気付くはずです。

 国民主権、基本的人権の保障、戦争放棄の規定は、日本国憲法の三大原則と呼ばれています。この日本国憲法の三大原則は、96条の改正手続に従っても、これを侵すような改正は許されないのです。

 そのようなことは、憲法96条の改正手続の規定には明記されていませんが、たとえ96条の改正手続に従っても、国民主権、基本的人権の保障、戦争放棄の規定を改正し、それらを放棄、つまりいらなくなったものとして捨てることは許されないのです。憲法第9章「改正」の96条には書かれていませんが、憲法の前文や憲法の他の条項をよく見れば、憲法改正の限界が隠れているのです。そこ見落としてはならないのです。

 憲法96条の憲法改正手続の規定が、はっきりと書いているところをみるだけでは足らない。それだけでは、憲法改正を語り尽くせないのです。少なくとも憲法の前文や他の条項を見なければならないのです。

 国民主権、基本的人権の保障、戦争放棄の三つの基本原則は、互いにリンクしています。いずれも憲法が究極の価値とする「個人の尊厳」のために寄与するものなのです。日本国憲法の三つの基本原則は、個人の尊厳という憲法以前からある人類普遍の原理を実現するための制度なのです。

 この三つの原則は、鎖のようになっていて、個人の尊厳を実現するための国の基本的制度(システム)となっているのです。一つでも崩してしまっては、鎖はバラバラとなってしまい、個人の尊厳は軽視ないし無視されかねないのです。

 人生は一回限りです。誰だって、一回限りの人生を幸福に送りたいのです。国も憲法も法律も、それを保障するために存在しています。個人が尊重され、人格の尊厳が保障されるためには、基本的人権が保障され、戦争が放棄されなければならない。そのためには、国民自身の手によって、国や憲法や法律のあり方が決められなければなりません。それが国民主権です。そういう考えで、日本国憲法は創られているのです。


 〈「究極の価値」は何かという視点〉

 憲法が究極の価値とする前記三大原則は、憲法改正手続に従っても、廃棄することはもとより、これを侵す結果となる内容の憲法改正は許されない――。このように考えるのは、当たり前の考え方のように思えるのですが、そうでない考え方もあるようです。それは、国民主権である以上、憲法改正の手続に従えば、国民が多数決て決めるだから、それが国民の考えということになり、どのようにでも憲法は改正できるという考え方です。

 これも一つの理屈ですが、私はこのような考え方には反対です。

 日本国憲法第9章「改正」の章は、96条の1箇条で憲法改正の手続を規定していますが、この条項だけ見ても、国民の権利及び義務と、憲法改正の関係は見えてきません。96条だけでは、国民の権利及び義務に関する憲法の規定が、どこまで改正できるのかは分からないのです。ここの問題の部分は、96条には書かれていません。96条の明文には、隠れていて見えないのです。

 96条の憲法改正手続の条項に、文章としてはっきり書かれていない、つまり明文化されていない96条の裏に隠れている部分を見るためには、同条だけを見ていないで、もっと視野を広げなければなりません。

 まず、憲法96条以外の憲法の規定、つまり前文や他の条項を見なければならないのです。その作業をここまでのところやってみました。その結果、96条の改正手続に従っても、憲法改正が許されない部分があることを知ることができました。

 さらに、憲法の前文や各条項には明文として書かれていないが、憲法の基本原則が生まれた、その本(素)となる理念、つまり根本となる考え方があるはずですから、それは何かを捜し出す作業をしなければなりません。これこそが、憲法の隠れている部分を見るということになります。

 日本国憲法の基本原則である、国民主権、基本的人権の保障、戦争放棄の規定が、なぜ生まれたのか、その根本となる考え方は何かを見つけなければならないのです。

 それは、日本国憲法は何を究極の価値、つまり一番大事なものと考えているか、ということから、答えは自ずから出てくるはずです。この憲法の究極の価値に反するような憲法改正が許されないことは、多くを言う必要がありません。理論当然のことです。問題は、日本国憲法の究極の価値は何かということになります。

(拙著「新・憲法の心 第25巻 国民の権利及び義務〈その2〉」から一部抜粋)


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