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 〈日本国憲法において新型コロナウイルス対策費に税金を使っていいのか〉

 新型コロナウイルスの感染の拡大防止のために必要な費用に税金を使うことには、誰も異議を唱える人はいないでしょう。新型コロナウイルスに感染した人を治す治療薬や治療装置の開発に税金を使うことに反対する人はいないはずです。新型コロナウイルスの予防薬やワクチンの開発に税金を使うことに反対する人もいないでしょう。

 これらの行為は、まさに人命を守るためのものです。人格の尊厳、つまり人命と基本的人権を究極の価値とする日本国憲法においては、ここに税金を使わなかったら、憲法の心に反してしまいます。税金はそういうことに使うために、国民は自ら納税の義務を憲法上に宣言したのです。

 憲法第25条は、1項「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定め、2項には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めています。

 新型コロナウイルスの感染拡大防止や、その治療やワクチン開発の費用に税金を使うことは、この憲法第25条2項の規定から考えて、国の義務であるとさえ言わなければなりません。

 問題となるのは、新型コロナウイルスの拡大防止や治療やワクチン開発と直接関係のない、新型コロナウイルス問題から発生する経済対策費用の支出です。

 この問題は、憲法第25条1項との関係で、議論しなければならない問題です。「健康で文化的な生活を営む権利」の解釈問題です。経済をどう回すかという問題は、憲法の解釈問題というより経済政策の問題ですが、場合によっては憲法第25条1項の問題が出て来ることもないとは言い切れません。

 新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために、緊急事態宣言が出され、営業自粛を求められたりして、商売ができなくなったため収入が無くなった人に対する補償金などに税金を使うことはどう考えたらよいのでしょうか。

 私は、そのために商売を辞めなければならなくなるような人に補償金を出したり、仕事を失い収入が無くなり生活ができなくなった人に対する生活費に税金を使うことも許されると考えます。

 収入が断たれ、生活ができなくなるということは死活問題です。死活問題とは、文字通り死ぬか生きるかの問題です。人命と基本的人権を究極の価値と考えている日本国憲法においては、人命と幸福な生活が脅かされる状況となったら、国としては、これを見逃すことは許されません。国民のためにある国は、何を置いても、その対策に乗り出さなければならない。それが国の存在理由です。

 新型コロナウイルス感染防止策として、政府や地方公共団体が出す緊急事態宣言などによって、経済的に行き詰った人に対し、その救済費に税金を使うことは、まさに本来の税金の使い方です。このような時に税金を使わなければならないのです。

 ですから、「日本国憲法において、新型コロナウイルス対策費に税金を使っていいか」という問いに対する答えは、「それは、まずやらなければならないことである」ということになります。

 問題は、具体的場面において、どのようら使うかということです。無駄な使い方や便乗して不当に利益を得る者が出たりしないように、まずは国会が、最終的には国民が監視しなければなりません。


 〈条文や判例を知らなくても正解に辿りつける〉

 日本国憲法において、武器購入資金に税金を使ってはならず、新型コロナウイルス対策費に税金を使うのは当然という答えが生まれるのは、日本国憲法がこの世で最も大事なものを一人一人の命と幸福であると考えているからです。この答えは、日本国憲法の心から当然に生まれるものであって、日本国憲法の論理的帰結、つまり意見や考えをきちんとした道筋で通せば、そこに辿りつくものです。

 それのみならず、「人生は、いまの一瞬を、まわりの人といっしょに、楽しみ尽くすのみ」という「いなべん哲学」の視点に立っても、当然の結論です。憲法の規定があるかどうか以前に、人間としてこの世に生み出されたら、誰にでもそのような権利があるのです。幸福に生きる権利、人生を楽しみ尽くす権利は誰にでもあるのです。これはご存知の通り、天賦人権思想です。

 戦争は、いま目の前にいっしょにいる味方と敵が、武器を使って殺し合うものです。これほど「いまの一瞬を、まわりの人といっしょに、楽しみ尽くす」ということに逆行することはありません。

 人を殺し合う武器購入資金に、私の納めた税金が使われることは、憲法がどのように規定していようとも、法律がどう決めようとも、私の生き方としてできません。日本国憲法を離れても、それはできないことなのです。つまり、憲法9条があろうとなかろうと、武器購入資金に税金を使うことは許されない。それが真理です。それが憲法の心なのです。

 これとは逆に、新型コロナウイルスに感染し、死んでいく人を救うために、私の納めた税金を使うことは、いまの一瞬を、いっしょに生きている人を救うことなのですから、憲法がどう規定するかとは関係なく、私の生き方として、何を置いても出してほしいのです。先のことを心配するのは分かりますが、先のことを置いてまず出してほしいのです。

 つまり、この二つの問題については、日本国憲法がどう規定しようとも、それには関係なく正解が出せます。憲法の規定がどうなっているかという問題を離れ、自分の生き方という秤で計れば、迷わず正解が出ます。憲法の条文や判例を知らなくても、憲法問題は正しい生き方を探求すれば、正しい解釈はできるのです。

 「真理」とは、「だれもが正しいとする事実や法則」(角川必携国語辞典)ですが、真理は単純明快です。審理を探究すれば、憲法や法律や判例を知らなくても憲法問題は答えられるはずです。個人の尊厳、つまり一人一人の生命と幸福に適うかどうかという秤で計ればいいのです。

 (拙著「新・憲法の心 第28巻 国民の権利及び義務〈その3〉」から一部抜粋 )


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