司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈日本人を戦争に走らせたもの〉

 

 拙著「旧・憲法の心」において、マインドコントロールの怖さを次のように述べました。私が身を以て体験したことではないのですが、そう理解する以外に、私には考えられないのです。

 

 「マインドコントロールされた者が、常識を失い、善悪感を失い、暴挙に及ぶことがあることは歴史が証明している。『天皇陛下万歳』と叫んで、飛行機に爆弾を積み込んで敵艦に体当たりをし、散っていった若き特攻隊員。なぜ、そのような普通では考えられない行動に及べたのか。今、平和な中に自由に人生を歩んでいるわれわれにとっては、容易に理解することはできない。特攻隊員は、マインドコントロールされていたのだ」

 

 私は、「死にたくない」という思いが強く、「いつかは必ず死ぬ」と考えると、居ても立ってもいられない気持ちになりました。お釈迦様が説いた「四苦」とは、「生・老・病・死」だそうです。「死にたくない」と思うのは、誰でも同じではないでしょうか。

 

 それが怖くなくなるというのは、マインドコントロールにより、本来人間が持っている自然な感覚や感情を麻痺させられるからではないでしょうか。特攻隊を志願するのは、マインドコントロールされた結果だと思います。人間は、「信仰の役に立つ」とか、「国の役に立つ」とか、「大事な人の役に立つ」と信じた場合には、命を捧げることができるのかもしれません。

 

 「ジハードー(聖戦)と言って、自分の体に爆弾をくくりつけ、自爆していくテロリスト。自爆後の本人の体は粉々となり、人間の形跡さえ留めない。まさに粉砕だ。奪ったジェット機を操縦し、ニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んでいったテロリストたち。もちろん自分の命を失うことも覚悟している行動だ。なぜ、こんなことができるのであろうか。人間は、この世界に生を受けた以上、その命を全うしたいというのは本能だ。その本能さえ、失ってしまったのはどうしてだろうか。マインドコントロールされていたからだ」

 

 戦前の日本の教育によってマインドコントロールされた若者は、自ら特攻隊員を志願したようです。やなせたかし氏の「僕は戦争は大きらい」には、「やなせ先生の実弟・柳瀬千尋氏は終戦直前の1944(昭和19)年に海軍が採用した特攻兵器、人間魚雷『回転』の乗員に志願して、フィリピンへ移動中に亡くなっています」と記されています。

 

 千尋氏は、京都大学出身のエリートだったようです。そのような人でも、「志願者は一歩前に」と言われ、「みんなが出るのに出ないわけにはいかなかった」と、やなせ氏に語ったそうです。そういう雰囲気が日本中に蔓延していたのだと思います。

 

 

 〈国民同士のマインドコントロール〉

 

 マインドコントロールの中でも、国家による国民に対するマインドコントロールの影響が怖いことは、歴史が物語っています。「旧・憲法の心」では、次のように述べました。

 

 「ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリアをはじめ、諸外国にも時の権力者によるマインドコントロールの実態が見られる。諸外国のことは置いておくとしても、わが国でも戦前、国が国民をマインドコントロールしていたことは明らかだ。戦前、日本国の国民に対するマインドコントロールは徹底したものであった。国によってマインドコントロールされた国民は、だんだん国民自身が他の国民をマインドコントロールするようにさえなった」

 

 さらに、次のようにも述べました。

 

 「『一億総火の玉』とか、『欲しがりません、勝つまでは!』などというスローガンを掲げ、国民は一切の力を戦争に注ぎ込んだ。このような考え方に反する者がいれば、『非国民』とか『売国奴』などと言って、国民がこれを非難・攻撃した。この日本国のなしたマインドコントロールを受け、国民も後押しして、日本は軍国主義となり、太平洋戦争へと突っ走った。国家がマインドコントロールするときの、その規模の大きさやそれによって受ける影響の甚大さは、そら恐ろしい」

 

 国がマインドコントロールをすると、マインドコントロールされた国民が国民同士で互いにマインドコントロールし合うことになるのは、洋の東西を問わないようです。戦前の日本でも、ドイツのナチスでも、イタリアのファシスト党において、国民同士がマインドコントロールをし合い、軍国主義やファシズムへと突っ走りました。国民が国民を監視し、「非国民」や「売国奴」を創り出すことになるのです。

 

 その結果、第二次世界大戦に至り、日本だけでも約310万人が、世界では約6000万人もの人が死んだのです。東日本大震災でさえ約1万9000人の死者・行方不明者だったのですから、マインドコントロールの怖さがどれほどのものかがよく分かります。

 

 天災よりも、戦争という人災の方が、はるかに被害は甚大なのです。地球に巨大な隕石などが衝突したらどうなるか分かりませんが、千年に一度と言われる東日本大震災でも数万人単位の死者です。約6000万人も死ぬ自然災害など、考えられません。核戦争になったら、一体どうなるのでしょうか。

 

 「杞憂」、つまり「取り越し苦労」と言われそうですが、そうではないのです。第二次世界大戦で約6000万人が死んだことは、厳然たる事実なのです。日本人だけでも、約310万人が死んだのです。朝鮮戦争では、約500万人もの人が死んだそうです。それは、千年も昔の話ではないです。私がこの世に生まれた後に、現実にあったことなのです。「取り越し苦労」などと、高を括るような話ではないのです。
 (拙著「新・憲法の心 第11巻 戦争の放棄(その11)」から一部抜粋)

 
 

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