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 〈調整型弁護士への道〉

 人間誰もが持っている常識とか、人情とか、人の気持ちとかを理解する能力をしっかり持っている、つまり人の心が分かる人間でなければ、他人の心は掴めない。他人の心を掴めなければ、調整型弁護士業で生活することは難しい。

 常識と人情を知っているだけでは不足であり、その人がどのような気持ちでいるかを読み取る力が必要となる。その様子から相手の本当の気持ちを感じ取る能力が求められる。他人の心を読むという能力は、最も難易度が高い能力であり、未だに十分に身に付いてはいない。だが、後期高齢者となり、いくらかは身に付きつつあると自負している。

 この能力は、机に向かって法律書を読んだり、答案練習したりするだけでは身に付かない。苦労の体験が必要となる。普段から人生はどうあるべきかを考え、その考え方を実践する中から身に付いてくるものである。この能力は、法曹としての経験だけではなく、病気体験のように苦労の体験などか複雑に絡み合って構築されるもののような気がする。

 法律分野に詳しいだけの専門馬鹿ではならないのであり、人間総合力が求められる。

 資格とは、「ある仕事や役割についたり、何かをする時に必要とされる条件や能力」だが、弁護士業をなすものは、法律で弁護士資格が必要となる。調整型弁護士は、弁護士業をなすのだから、弁護士資格は必要となる。調整型弁護士業を営むためには、法律は弁護士資格の他に特別な資格を求めていない。従って、弁護士資格があれば、誰でも法的には調整型弁護士の資格はあることになる。

 地方で開業する弁護士も、弁護士資格があれば、調整型弁護士の資格はある。しかし、資格があるということと、その仕事や役割を果たせる能力があるということとは別である。弁護士資格があれば、誰でも調整型弁護士の仕事ができるかということになれば、それは直ちに肯定することはできない。調整型弁護士の仕事は、紛争の一方当事者としての仕事とは、比べものにならないほど難しい。より高い能力がなければできない。

 前記の通り、「弁護士倫理の理論と実務」が「調整行為を行う弁護士の資格としては、その職務内容が依頼者らの利益相反が顕在化しやすい状況下で全員の利害調整を公平に行うものであることを考慮すると、相当程度の法曹経験を要するとすべきである」と述べている通りである。

 弁護士資格では足りず、「相当程度の法曹経験を要する」という指摘は、的を射ている。だが、私の経験では、「相当程度の法曹経験」だけでは、まだ不足だと思う。調整型弁護士は、依頼者、市民、ひいては国民から信頼されなければならない。

 弁護士が依頼者ら、関係者全員から信頼されるためには、法律の条文と判例と法理論というか法律の理屈を知っているだけでは足りない。これは喧嘩犬にはなれても、調整型弁護士にはまだなれない。裁判官経験が長いとか、弁護士経験が長いだけで信頼されるとは限らない。

 調整型弁護士は、「あの弁護士が言うのであれば間違いない」と誰でも思われるようにならなければならない。それは法律知識だけでは足りない。人間としての信頼を得なければならない。


 〈紛争解決への説得力あるアイテムが必要〉

 民事裁判の実情を直視すると、民事裁判に対する国民の目は厳しい。国民の民事裁判離れの傾向が見られる。国民は、民事裁判では真の紛争解決となっていないことが多いこと実感している。裁判官なら誰で信頼されるなどということはない。判決が出たら、半分の人は裁判官に対して信頼を失う。

 民事裁判は、法的理屈に走り、国民が期待するような裁判を必ずしもしているとは言えない。このような民事裁判の実態に背を向けている国民は、裁判に長く関わったからといって、それだけではそのような裁判官経験者や弁護士経験者に対して、心の底から人間的に尊敬も信頼もするとは思えない。

 「相当程度の法曹経験者」であれば、誰でも調整型弁護士の実質的資格があるというのは早計である。相当程度の法曹経験者でも、調整型弁護士としての実質的資格がないという人も多数いそうだ。

 これまで弁護士は喧嘩犬のように法廷で吠えて闘争し、裁判官は双方弁護士を闘争させ、どちらかに軍配を上げる役割を果たしてきた。その経験の中からも、紛争を未然に防ぎ、調整する役割を果たす上で役立つ勉強もいくらかしてはいるが、元々が喧嘩犬とその行司役だ。調整型弁護士の自覚も経験も足りない。相当程度の法曹経験だけでは、調整型弁護士としての能力は不十分と言わなければならない。

 調整型弁護士は、法律という理屈よりも、常識とか、人情とか、人の気持ちを読み取るとか、紛争解決のためにより説得力があるアイテム(道具)を身に付けなければならない。

 法律の条文と判例と法理論だけでは、他人を説得することはできない。司法試験の合格答案が書けるような力があっても、それだけでは調整型弁護士の能力があるなどとはとても言えない。調整型弁護士の本当の能力があるとは言えない。調整型弁護士の仕事は、一応筋が通っている答案を書けば、合格点が貰えるという世界ではない。もっともっと人間総合力が必要となる世界である。

 地方弁護士の商売は、試験の答案が書ければ繁盛するような世界ではない。カネを払ってでも、あの弁護士にこの悩みを解決して欲しいと、地方住民が思うような存在となるためには、その弁護士には、人間総合力が必要となる。

 それは、知識があれば足りるものではない。知恵がなければならない。信頼される人間性がなければならない。優しくて、人に好かれなければならない。合格答案を書く練習だけでは身に付かない。調整型弁護士には、紛争の当事者が互いに正しいと主張する次元より高い次元で、双方の言い分を統合できる能力が不可欠となる。

 地方の人口は激減し、裁判件数は減っている。他方、地方弁護士は大幅に増えた。地方弁護士は、法廷で一方当事者の代理人となって闘う仕事は減っている。今後もその傾向は続きそうだ。

 そのような地方弁護士の商売環境の中で、地方弁護士の商売を繁盛させるためには、地方住民が地方弁護士を必要不可欠な存在と認めて、頼られる存在とならなければならない。その手始めとして、地方弁護士は「喧嘩犬から氏神様へ」という思いを述べた。簡単には実現できないことではあるが、まずそういう方向を目指さなければならない。思えば、ことは必ずなる。まず、思うことが大事である。

 (拙著「地方弁護士の役割と在り方」『第1巻 地方弁護士の商売――必要悪から必要不可欠な存在へ――』から一部抜粋)


 

 「地方弁護士の役割と在り方」『第1巻 地方弁護士の商売――必要悪から必要不可欠な存在へ――』『第2巻 地方弁護士の社会的使命――人命と人権を擁護する――』『第3巻 地方弁護士の心の持ち方――知恵と統合を』(いずれも本体1500円+税)、「福島原発事故と老人の死――損害賠償請求事件記録」(本体1000円+税)、都会の弁護士と田舎弁護士~破天荒弁護士といなべん」(本体2000円+税)、 「田舎弁護士の大衆法律学 新・憲法のこころ第30巻『戦争の放棄(その26) 安全保障問題」(本体500円+税)、「いなべんの哲学」第1~16巻(本体1000円+税、13巻のみ本体500円+税)も発売中!
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