〈断絶を生みかねない裁判による解決〉
法律以前に気持ちがあるのです。遺産を残す人の気持ちと残された人同士の気持ちを考え、歩み寄って解決するには、法律や裁判などの世話になる必要はないのです。
相続に関する法律は、争いがあるときに適用されるのです。関係者の気持ちが一致していれば、法律や裁判所の手を煩わす必要などないのです。歩み寄りの努力をしないで、法律と裁判で決めようとする人は、相続問題ではトラブルメーカーになることを知ってほしいのです。
裁判所は判決を出せば、その争い事を片付けたことになり、「一件落着」というのでしょうが、裁判を受けたものにとっては、何が片付いたのでしょうか。判決が出たら、皆それに納得して、争った親族間の関係は修復されるのでしょうか。
そんなことはありません。一審判決が出たら負けた方は控訴しますから、裁判は二審に移り、争いはいよいよエスカレートしてしまいます。
離婚事件や相続事件のような親族関係の裁判においては、裁判所の出す判決で関係者の誰もが納得する結論など出ません。敗訴した方は、判決が出る前以上に相手を深く恨むようになります。このような事件で裁判をしたら、関係修復はできません。生涯関係は断絶となります。
判決が確定したら、親族間の亀裂はさらに深くなり、親族関係の断絶が確定的となり、修復できない状態となります。生まれた時から長く続いてきた特別な親密な関係が途絶えてしまいます。親子、兄弟でありながら、他人以上に冷めた関係となってしまいます。
この世で最も身近で最も大切な人との繋がりや結び付きが途切れてしまうのです。冠婚葬祭があっても、互いに声も掛けなければ、掛けられないということになってしまいます。互いに憎しみ合う関係にさえなりかねません。裁判が終わった後は、絶縁状を出す人さえ出てきます。
相続争いは、裁判となったら、この世で最も身近で最も大切な人との縁を切ってしまうことになりかねないのです。相続問題は、法律や裁判ではなく、気持ちの歩み寄りによって解決すべきだということを、そのようなケースを沢山見てきた老弁護士は、心から訴えます。
〈相続では法律より気持ちが大事〉
そもそも離婚や相続などの身分に関わる問題は、法律や国が関与しても根本的解決とはならないのです。それは、個人の気持ちの部分が強いからです。相続の問題は、法律や裁判任せとしたりしないで、互いの気持ちを大事にして解決すべきです。
相続問題を裁判にするような生き方は、「人生は、まわりの人といっしょに、楽しみ尽くすのみ」という「いなべんの哲学」に最も反す生き方です。これでは「人生を楽しむための相続」にはなりません。
親族間で相続問題を裁判をするということは最悪です。そんなことはさせたくないのです。そのためにこの一文を書いています。相続問題を単なる財産の奪い合いにしいためには、相続は法律より気持ちが大事であることを知ってほしいのです。
「人生は、いまの一瞬、まわりの人といっしょに、楽しみ尽くすのみ」という「いなべん哲学」の視点で、相続問題を見れば、相続に関する法律より、相続に関係する人の気持ちが大事となります。
法律は、人間はどう生きるべきかについては、ほとんど語っていません。人間はどう生きるべきかという問題は、個人の生き方の問題であり、哲学の問題です。
生き方は一人一人が考えるべき事柄です。相続問題は、一人一人が考えなければならない生き方の問題の一局面です。国の政策や法律などに左右されずに、自分の気持ちを大事にしなければなりません。
繰り返しますが、相続では、法律より気持ちが大事だということを強調したいです。そして、その気持ちの持ち方は、相続問題においては、その相続に関係する皆が幸せになるためにはどうしたらよいかという方向を目指さなければならないのです。それは、争うのではなく、歩み寄ることなのです。相続では、法律より気持ちが大事です。
(拙著「いなべんの哲学 第6巻 」から一部抜粋)
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