〈満足は続かない〉
時には、何もしないでじっとしていたいこともありますが、これも欲の一つです。ですか、これも長くは続きません。いつまでもじっとしてはいられません。何かをやりたくなります。
すべてのものは、仏教で言う「無常」です。変わらないものはないのです。何でも必ず変化します。欲望も絶えず変わります。「何もやりたくない」という欲望も変わります。そんなに長い時間を経ずに、何かがしたくなります。朝には、「もう食えない。もう何も食べたくない」と思うほど食べても、昼を抜いたら夜には「あ、腹が減った。何か食べたい」となります。
寝ていても、いつまでも同じ姿勢ではいられず、無意識に寝返りを繰り返しています。眠っていても、同じ姿勢を長く続けてはいられず、違う姿勢を求めるようにつくられています。
姿勢を変えたいという欲望は、同じ姿勢を長く続けることで、体が痛くなってできないという肉体的面だけではなく、飽きてしまうという心の面からも生じます。肉体的にも、心理的にも、いつまでも同じではいられないのです。無常です。特に人間は、変化が激しいように思えます。
食べることも寝ることも、「これで満足」という状態は長くは続かないのです。すぐに次の不足が生まれてくるようにつくられている。それは、食べることや寝ることに限られたものではなく、欲のすべてがそのようにつくられています。カネに関しても、人間関係においても、「これで満足」という状態はいつまでも続かない。すぐに不足を感じ、新たに別な満足をさせようという心が湧いてくる。人間の欲望は、いつまでも満足してはいられないようにも次からと湧いてくるようにつくられているようです。
元気に生きている限り、欲はいつまでも満足していることはなく、次から次へと湧いてきます。欲が次から次へと湧いてくるということこそ、元気の証拠。やる気があるということです。次から次へと湧く欲望を満足させることは厄介なことではありますが、これが人生を楽しむ根源でもあるのです。
〈「破壊欲動」から「エロス的欲動」へ〉
このように、次から次へと湧いてくる欲望ではありますが、「戦争をしたい」という欲望だけは、完全放棄しなければならないものと確信しています。次から次へと湧く欲望という存在を受け容れながらも、「戦争をしたい」という欲望は、完全に放棄するという心が、戦争防止を実現するためには不可欠です。
仏教では、欲を少なくすることと、「もう満足だ」と足ることを知ることで、煩悩をコントロールしなければならないと教えています。欲をほどほどに抑えて満足するように心でコントロールすることによって、人生を楽しもうという考え方だと思います。仏教の教えは、楽しく生きる知恵だと思います。
欲をほどほどに抑えるだけではなく、欲の内容によっては、これを完全に放棄して、人生を楽しむべきではないか、という考えに至っています。その完全放棄すべき欲は、「戦争をしたい」「人を殺したい」「人を苦しめたい」という欲です。この欲は、完全に捨てなければならない、という考えに至っています。
フロイトは、「人間がすぐに戦火を交えてしまうのが破壊欲動のなせる業だとしたら、その反対の欲動、つまりエロスを呼び覚ませばよいことになる。だから、人と人の間の感情と心の絆を作り上げるものは、すべて戦争を阻むはずなのである」と述べています。破壊欲動の反対の欲動、つまり「エロス的欲動」とは、フロイトは「保持し統一しようとする欲動であり、破壊し殺害しようとする欲動とは反対の方向にある」としています。「エロス」とは、ギリシャ神話で愛の神、ローマ神話のキューピットだそうです。
第二次世界大戦後、憲法9条の下で70余年も続いた平和な日本を「平和ボケ」などと揶揄する向きもありますが、どんなに満足は続かないものだとしても、「平和に飽きたから戦争の方向に向かう」などということだけは、絶対にあってはいけないのです。そんなことを考える人は、真の戦争の惨禍を知らないからです。
ここのところは、フロイトも指摘しているように、「破壊欲動」から「エロス的欲動」に方向を切り換えなければならないのです。核兵器が充満している21世紀の地球状況においては、特にこのことが深い意味を持つのだと確信します。戦争を防止する方法の二つ目の柱である心のあり方の調整は、人間には「破壊欲動」があることを認識したうえで、たとえそれが人間の本性だとしても、「戦争だけは絶対にしてはいけない」という決意を人類一人一人が心に植え付けることだと確信します。
核兵器が充満している21世紀の地球は、20世紀前半までとは次元の異なる哲学を生み出す基盤となっているのです。このような基盤の中では、理屈などないのです。「戦争は絶対にしない」という意識を、人類一人一人が心に誓うことが不可欠になっているのです。
これに反する哲学は、生まれる余地がない。仮に生まれたら、一日も早くその芽を摘み取らなければならないのです。最近の日本には、今すぐ摘み取らなければならない芽が見えている気がしますが、如何でしょうか。
(拙著「新・憲法の心 第21巻 戦争の放棄〈その21〉」から一部 抜粋)
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