司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈国民は真の知恵者になろう〉

 

 憲法改正を強く主張している政治家たちの強弁、つまり、無理に理屈をつけて言い張るやり方と、数の論理と、マスコミの操作によるマインドコントロール如何によっては、憲法改正は簡単になされてしまうのではないかという不安を拭い去ることはできません。

 

 現行憲法の最後の砦は、国民です。国民の良識です。国民に「般若」になってほしいのです。「般若」とは、古代インドの言葉で「真実を見通す知恵」だそうです。国民一人一人に、「真の知恵」を持ってほしいのです。「戦争絶対反対」という、素朴な良識を持ち続けてほしいのです。

 

 「真の知恵」とは何か、ということになりますが、死後のことは宗教に任せることにし、「今、私たちが生きているこの世の中で、一番大事なものは何か」ということを見極めることではないかと思います。それが分かれば、そこからすべてのことを考えれば、大きな間違いをしないのではないかと考えています。

 

 「真の知恵」は、理屈ではありません。良識です。健全なものの考え方です。「健全」とは、心身共に健康で異常がないことです。異常がなければ、誰だって死にたくないのです。誰だって戦争に巻き込まれたくないのです。その素朴な感覚を大切にしなければならないのです。「真の知恵は、単純なもの」なのです。誰もが、どこでも、同じように感じるものなのです。

 

 それを、なんだかんだと理屈を言い、自分の都合のよい方向に運ぼうとする輩の言葉に惑わされ、自らの感覚、つまり、心のはたらきを失ってしまうことのないようにしてほしいのです。

 

 憲法は、国の基本法です。この憲法が何を究極の価値としているかを知ることが、大事なことになります。これは、法を解釈する仕事に携わっている裁判官、検察官、弁護士、憲法学者のみならず、憲法の改正権者である国民がはっきりと認識していなければならないことです。

 

 「この世において、何が一番大事か」、「憲法は、何を究極の価値としているのか」をはっきりさせるために、私は「大衆法律学」を書いてきました。難しい理屈を言うつもりはありません。「命が一番大事」です。

 

 

 〈この世で一番大事なもの~命と基本的人権〉

 

 お釈迦様は、この世に生まれるとすぐ7歩歩き、右手で天を指さし、左手を地に向けて四方を顧みて、「天上天下唯我独尊」という言葉を発したとのことです。

 

 どんな人だって、生まれてすぐそのようなことができるとは信じられません。ですが、この中にこそ、お釈迦様の考えが示されているのではないでしょうか。「この世において、何が一番大事か」という問いに対する答えが、示唆されているのではないでしょうか。

 

 この言葉をそのまま読めば、「天上でも天下でも、自分一人が尊い」と受け取れます。些か態度がでかいという気もしますが、よくよく考えてみれば、誰だって自分が一番大事であることは疑いのない事実です。

 

 どんな立派な人だって、自分が一番大事なのです。それは当たり前のことであり、その当たり前のことをはっきりと認識することが良識であり、ものを考えるうえで不可欠なのです。

 

 そう考えれば、「天上天下唯我独尊は、まさにその通りだ」と納得できます。「さすが、お釈迦様だ」と、私は感心しています。

 

 さらに大事なことは、「自分が一番大事だ」と思っているのは自分だけではなく、誰もがそう思っているということです。自分のことだけでなく、他人のことにも考えが及ぶことが良識です。

 

 「この世で一番大事なものは自分だ」という考え方は、真実です。真実を見極めなければ、正しい考え方には至りません。真実を隠したり、あやふやにしてものを考えたり議論をしても、本当の解決にはなりません。

 

 「この世で一番大事なものは何か」を見極めることが、憲法を考えるうえで最も大事なことです。この世で一番大事なことが分かれば、それを基点として考えていけば、自ずと正しい結論に至るはずです。その基点となる「この世で一番大事なものは何か」を見極めることは、憲法を解釈する上でも、揺るがすことのできない最も大事なポイントです。

 

 日本国憲法は、この世で何が最も大事なものだと考えているのでしょうか。

 

 私は、それは「一人一人の命」だと思います。命がなければ、「天上天下唯我独尊」という発想は出てきません。この世に生を受けた直後に、お釈迦様が発した言葉が「天上天下唯我独尊」だったことは、そのことを言っているのだと思います。

 

 この世で一番大事なものは「命」ですが、その命は生まれてから死ぬまでの間、存在するのです。命が大事だということは、「生まれてから死ぬまでの間が大事だ」ということです。

 

 生まれてくる前のこと、死んだ後のことは一旦置いておくとして、「生きている間は幸福に生きたい」と誰だって思います。それを尊重するのが「基本的人権の尊重」です。ですから、「命が一番大事だ」ということは、「基本的人権が一番大事だ」ということになります。

 

日本国憲法は、基本的人権を究極の価値、つまり、この世で最も大切に扱わなければならないものとしているのです。それを、「基本的人権の尊重」と呼んでいるのです。

 

 蛇足になりますが、私は「どう生きるべきかは哲学の世界であり、死後どうなるかは宗教の世界ではないか」などと考えています。憲法は、「どう生きるべきか」の国の基本原則を掲げたものですから、哲学と深く関わっているのではないかと考えています。

 

 戦争を放棄するのですから、戦争の道具である戦力は不要であり、「戦力の不保持」ということになります。「交戦権の否認」となります。

 

 「基本的人権」を究極の価値と考える日本国憲法が、「戦争の放棄」を規定したことは当然のことなのです。戦争を放棄するのですから、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を規定したことも、当然の論理的帰結です。この規定を廃棄すれば、それは「日本国憲法の廃棄」のなのです。
(拙著「新・憲法の心 第1巻 戦争の放棄(その1)」から一部抜粋)

 
 

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