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 〈「殿様商売」と言われた時代〉

 司法研修所を卒業し、仙台弁護士会に入会したのは、昭和41(1971)年4月だった。当時、弁護士会には、間もなく100歳になろうという超ベテラン弁護士がいた。記憶は定かではないが、弁護士登録番号が110番くらいと聞いたような覚えがある。

 弁護士登録番号は、数字の大小で弁護士経験年数を読み取ることができる。登録番号の小さい方が、弁護士となった時期が早いということになり、登録番号が大きい人ほど弁護士経験が少ないということになる。いまや三ケタの登録番号の弁護士は、全国を探してもいるのだろうか。

 明治以降に弁護士制度ができ、登録番号制度ができた。亡くなれば欠番となる。現在の新しい弁護士では、令和元年の修習で72期に当たり、その人たちの登録番号は58641番以降となっている。私は、修習は23期で、登録番号は12320番で、岩手弁護士会では3番目に古い弁護士ということになる。

 因みに、この一文を書こうと、全国の弁護士の登録番号について調べてみたら、12320番という私の番号は、23期の司法修習生の中では、一番最初の番号であることを知った。何の意味もないことだが書いておく。どういう流れだったかは分からないが、23期では日弁連で一番先に受け付けしたという縁だったということだろう。

 仙台弁護士会に入会して間もない時に、東北弁護士会連合会の大会が山形弁護士会で行われた。観光の一つとして飯豊山(標高2105m)に登るコースがあった。登録番号110番台のその老弁護士夫妻が山に登るというので、そのサポート役に命じられた。奥様も90歳を超えていた。

 山登りなどしたこともなく、普段歩くことさえあまりない身としては、この役はミスキャストだった。お二人とも健脚で、お二人について歩くのがやっとで、サポート役の自分がサポートされているようだった。

 道々その先生が語るには、先生が弁護士になった当時は、弁護士は畳敷きの和室でクライアント(相談者、依頼人)と面談した、とのことだった。弁護士は床の間を背に、一段高い所に肘掛けに肘を乗せ、一段下で畏まっているクライアントの話を聴いていた、と。まるで殿様と家来のようだった、と話してくれた。

 仙台でイソ弁をしていた当時の親分弁護士は、応接室の大きなソファに深々と座り込み、タバコを吹かし、「うんうん」と頷きながら、クライアントの話を聴いていた。弁護士が上目線でクライアントを見下ろしていたという格好であったことははっきりしていた。地方弁護士は「殿様商売」などと言われた時代があった。

 私が弁護士となった昭和46(1971)年当時は、仙台弁護士会には司法修習2期の弁護士が1人、3期の弁護士が3人いて、その4人が総勢80人ほどの仙台弁護士会を牽引していた。私は弁護修習は、2期の先生の下で受け、イソ弁は3期の先生のところでお世話になった。先輩弁護士からは、「最高の巡り合わせだ」と羨ましがられた。恵まれた弁護士スタートだった。そのお陰で、先輩弁護士可愛がられ、弁護士会では早くからいろいろな役をやらせてもらえた。大きな仕事の手伝いもさせてらった。

 修習士指導の弁護士も、イソ弁の親分弁護士も、100歳になろうとする弁護士登録番号110番台の先生の話を聞いていたようで、司法研修所前の時代の弁護士を「前期会弁護士」と呼んでいたが、「前期会時代は、弁護士の敷居は高かったようだが、司法研修所を卒業した我々の手で、弁護士の敷居は下げなければならない」と、司法研修所を卒業した弁護士の組織である「全期会」を立ち上げて語り合っていた。

 全期会の下働きで、新米弁護士の役割を経験させてもらったお陰で、いろいろな勉強をさせてもらえた。東北地方の他会のベテラン先生にも可愛がってもらえた。全て良縁だった。


 〈敷居はどのくらい下がったか〉

 あれから半世紀以上が過ぎた。今の時代に地方の弁護士で弁護士業を「殿様商売」と考える弁護士はいないと思うが、「お客様は神様だ」と思う弁護士はどのくらいいるのだろうか。弁護士事務所の敷居が、どのくらい下がっただろうか。弁護士とクライアントのいる床は、バリアフリーとなっているだろうか。

 どこの弁護士事務所も、床には高低差はないと思うが、気持ちはどうであろうか。「お客様は神様」という意識はあるだろうか。弁護士業は殿様商売でよいなどと思っている地方弁護士いないだろうが、公娼と本質は同じだと考える地方弁護士はあまりいないのではなかろうか。そもそも、そんなことを考えているほど暇な弁護士などいないであろう。

 80歳記念本として「地方弁護士の役割と在り方――地方弁護士の商売」を書くことにし書き出したら、こんなことが気になった。こういう機会だから、余談となるが語ってみたい。地方弁護士の商売の本質や在り方に関わりが全くないとは言い切れない気がする。

 こういう脱線話は、聞く方は興味ないかもしれないが、書く方は面白い。まさに余計なおしゃべりで、こんなことを書いているから、拙著はどれも文字通り駄弁本なのだ。

 行商をしていた親の手伝いを小学校の頃からしてきたから、客の有り難さは身に染み込んでいる。兄は20代半ばで独立開業し、車を売るため四苦八苦しながら会社を経営してきた。そんな兄の会社の監査役を50年以上続けて、商売の難しさを見て来た身。地方で開業する弁護士にとっても、「お客様は神様です」という三波春夫の言葉は金言だ。

 「金言」とは、「生きていくうえで手本となるような教えや深い真理などを、短い言葉で言い表したもの」と手許の辞書にはあるが、「お客様は神様です」は、地方で開業する弁護士にとっては、正に金言である。

 殊にロースクールができ、高い授業料や生活費を親から出してもらい、それだけでは足りず、模範答案の書き方を習うためにカネを払って塾などに通って、司法試験に合格したような親のすねかじりとも思える弁護士には、「お客様は神様です」という言葉の意味、内容を深く味わってほしい。熟読玩味してほしい。

 法律の条文や判例や法理論をいくらかしっているだけでは、地方で弁護士事務所を開業しても、簡単には食っていけない時代となっている。殿様商売など許される時代ではない。

 (拙著「地方弁護士の役割と在り方」『第1巻 地方弁護士の商売――必要悪から必要不可欠な存在へ――』から一部抜粋)


 「地方弁護士の役割と在り方」『第1巻 地方弁護士の商売――必要悪から必要不可欠な存在へ――』『第2巻 地方弁護士の社会的使命――人命と人権を擁護する――』『第3巻 地方弁護士の心の持ち方――知恵と統合を』(いずれも本体1500円+税)、「福島原発事故と老人の死――損害賠償請求事件記録」(本体1000円+税)、都会の弁護士と田舎弁護士~破天荒弁護士といなべん」(本体2000円+税)、 「田舎弁護士の大衆法律学 新・憲法のこころ第30巻『戦争の放棄(その26) 安全保障問題」(本体500円+税)、「いなべんの哲学」第11巻(本体1000円+税)も発売中!
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