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 統計不正など官僚の組織的な問題が浮上する度に、その原因について、ほぼ同じことが繰り返し指摘される。前例踏襲主義、カバナンスの欠如、官僚個人の使命感欠落などである。しかし、問題のそこから先が見えない。再発防止策という話になっても、それがどこまで前記原因に有効に作用するものなのか、国民の側からはよく分からない。要は、この体質はもはや簡単には変えられないという悲観的な見方になる。

 前例踏襲主義が問題を生んでしまうのは、結果的に彼らがその前例の誤りを修正できないところにある。後任が前任の誤りを見つけても、前例を修正できない。その彼らの陥る意識とは、いかなるものであろうか。

 しばしば言われるのは、日本の官僚の能力評価の歪みである。「無謬性」ということがいわれるが、彼らの評価の対象が、いかに間違えないこと、言われたことを的確にこなすことに偏重しているという指摘もある。もはやこれから外れることが、官僚組織内部で生き抜くことのリスクとなり、チャレンジ精神やあるいは個人の正義感も、「事なかれ主義」に必然的に取り込まれるという話である。

 この状況下では、一度過去に行われた不正を不正としてとらえず、組織内だけに納めることが、適切な対応となり、それがバトンタッチされていってしまうというのは、ある意味容易に想像がつくことではある。奇妙なことなのだが、現実に「無謬」であることやそれに現実を近付けることが重要なのではなく、いかに繕っても、その建て前だけが守られることが大事になることを意味している。

 政治主導といわれたものは、残念ながら、今のところ、この状況には無力だったというしかない。彼らの歪んだ能力評価の体質はそのままに、官邸や政権の意向に従うというモードが乗っかっただけだからである。官僚組織の前任の不正や誤りに物を申せないのと全く同様に、人事制度を人質にとられた彼らは政治家に物を申せなくなった。安倍政権下で散々見せつけられるようになった「忖度」は、前記政治主導が、彼ら自らの保身と利害を優先させる体質を変えるものではなく、むしろ悪い意味でマッチするものであることを明らかしているといっていい。

 こうした体質に対して、処方箋が示されていないわけでもない。例えば、この問題の根本にある評価を制度的に変えること。つまりは、個人の成果をもとに評価・処遇される形をつくり、チャレンジ精神を「事なかれ主義」に取り込まれないようにする仕組みを構築することである。さらに、現場への権限移譲や、外部機関によるチェック機能強化も挙げられる。

 ただ、あえて言ってしまえば、残念ながら、これらが現実化しないこと、これらが効果を上げられないことが、この体質の現実であるとみれば、これらを有効策として掲げるだけではどうにもならない、といわざるを得ない。

 「ノブレス・オブリージュ」を日本の官僚に期待することはできないし、そうしたものを浸透させるのには、相当な時間がかかる、という人もいる。しかし、官僚個人の倫理感を根本的に養う仕組みと、それを組織あるいは政治システムによって、歪めさせないための社会の監視と気運の醸成から、根本的に考えないことには、この硬直化した現状を変えるのは困難でるように思えてならない。



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