今年も司法試験は、政府が合格者数の「最低ライン」としている1500人を死守した。9月11日の法務省発表によると、今年の合格者数は前年から18人減の1525人。3年連続の減少ながら、減少幅は縮まっている(2017年40人減、2016年267人減、いずれも前年比)。受験者を前年から700人余減らしながら、合格者の減少は18人にとどめ、その結果として、合格率は前年を3.2ポイント上回る29.1%に跳ね上がっている。
ここに、まさに「死守」というにふさわしい政策的努力を読み取ることはでき、また、その目的あるいはその妥当性が、資格試験の在り方として論点になり得る。つまり、結果的に年間1000人ずつの弁護士を生み続ける政策的努力の必要性を、「社会の法的需要に応える」といったことで説明できるとは到底思えない、ということ。つまり「改革」が生み出した弁護士の顕在需要状況からすれば、その主眼とするところは、むしろ「改革」が生み出した新法曹養成制度の維持にあると推測できるからだ(「司法試験の本当の不安点」)。
ただ、そのこともさることながら、今回の結果で改めて注目されるのは、「予備試験」の存在感である。今回の予備試験組の合格者は336人で、合格率は77.6%とともに過去最高。一方、法科大学院修了者の合格者は前年を64人下回る1189人で、合格率は2.2ポイント上昇したものの24.7%と依然低迷し、その差は、3年連続で開いている。
この結果をみると、「1500人死守」と3割に及ぼうとする合格率に大きく貢献しているのは、予備試験組であるということができる。予備試験組合格者のなかには、法科大学院修了者・在学者が相当数含まれており、その意味での法科大学院教育の成果をどうみるかという点はあるとしても、合格ルートとしての「実績」の存在感を示しているのは、どう見ても予備試験組である。
法科大学院ルートを本道として「死守」したい側が、「抜け道」と揶揄するように(不当性のバイアスがかかった表現であるが)、志望者に選択されない(予備試験が選ばれる)ということが、彼らが言うような志望者の「心得違い」では収めきれない、制度の「実力」の問題であることを思わせてしまう。
「予備試験」ルートの合格者は、予備試験という厳しい関門を経ているから、必然的に合格率が法科大学院ルートより上回るという現実的な見方はできる。しかし、法科大学院入学時か修了時に、相応の「関門」を設ける是非や、法科大学院というプロセスそのもののレベルの方を考えるきっかけを与えてもおかしくない。
さらに、付け加えると、政策的努力の「成果」が本当はどこに出ているのか、という点である。「1500人死守」とともに、志望者獲得を主眼に、前記制度の「実績」を度外視し、法科大学院制度を守りたい側からは、司法試験合格率の低さに問題があるとして、法科大学院の「実績」に合せる同試験側の政策的努力を求める声が強くなっている。
しかし、皮肉なことに現状で合格率を上げても、この結果を見る限り、その「効果」はむしろ予備試験組合格に回る可能性も推測できる。だからこそ、予備試験ルートを力づくで狭める要求を強めることも考えられるところだが、そうなると今度は、相当数の優秀な人材が遠ざかることも覚悟しなければならなくなる。つまり、今、「死守ライン」ぎりぎりで展開されているように見える政策的努力の「効果」そのものも、もはや考え直すべきときに来ているととれるのである。
この状態でなお、法科大学院制度本道の死守にこだわり、司法試験合格率や予備試験の方をいじくろうとする努力の方向が、合理的で、かつ、本当に法曹養成に資するのか、逆に言うと、それを選択しないことが、この社会にとって果たしてマイナスにつながることなのか、根本的なところに立ち返る視点が求められている。