司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>



 

 現与党が旗印としていた政治主導が、官僚の人事を支配する官邸主導となり、結果、不透明で、かつ、不公正な官僚の忖度が、この国に生まれた。それが現在の政権で大問題となりながら、何一つ真実は解明されず、誰も責任が問われないままきた。その政権が、いよいよ司法まで支配しようとしている。それがわが国の現政権下で起きている「検事長定年延長問題」の、紛れもない実相である(「検事長定年延長問題で問われていること」)。

 手法そのものは、これまでの安倍政権と同じであるといっていい。いかなる不透明な点を追求されても、「問題なし」で通し、その明確な理由ははぐらかされ、追及しようにも決定的証拠となる文書が、なぜかタイミングよく消されてる。延々と続くこの停滞状態に、国民の中からは追及の決め手を欠く野党への嫌気と批判が生まれ、「いつまでやっているんだ」論に政権は助けられる形で、なんとなく逃げ切る形になり、なぜか支持率も失速するまでには至らない。安倍延命政権の、もはやパターンである。

 これまでも書いてきたように、そこには社会から向けられる疑惑の目線に対する脅威が感じられない。疑惑を疑惑のまま放置しても「なんとかなる」「逃げ切れる」という自信、有り体に言えば、「なんとか国民に説明しないとまずい」という感じがない。それは取りも直さず、一定の支持率を維持できた長期政権の奢りであると同時に、国民に対するとてつもない侮りである。

 しかし、今度はそれがさらに司法に及んできた。それがいかなる脅威であるかは明白である。安倍政権の数々の疑惑には、「私物化」という言葉があてがわれてきたが、司法が官邸の人事支配を通して「私物化」される危機が意味する、この国の現実は深刻だ。

 なぜ、問題の検事長は、30年にも及ぶ政府解釈を変更してまで定年延長されなければならなかったのか。その核心部分が、疑惑のなかにあることに、政権は何の脅威も問題も感じていない。長期にわたり維持されてきた解釈が、鶴の一声で、しかもそれなりの理由を開示、説明しないまま変更することに、なんの咎めるところもない。

 そして、この手法が司法に対して許されるのであれば、いうまでもなく司法権の独立は死ぬ。要は時の政権の思うがまま。法改正を経ることなく、政権の解釈に従わせるということにへの躇がないことが、どれほど異常なことであるかをまず確認すべきだ。

 そして、さらに深刻なのは法務大臣と検察側の現状である。弁護士資格を持つ、現・法務大臣は、今得起きていることの異常さを認識していないわけがない。もし、追及する側にいたらば、正面ら追及していてもおかしくないのではないか。文書ではなく、口頭決済でも問題ない、官邸の指示もないと言う。かっちり政権の手法に取り込まれたとしか見えない。解釈に関する人事院担当の無理に辻褄を合わせた苦しい答弁を見ても、良心や本来の職責の頭を押さえつける「支配」という文字しか浮かんでこない。

 検察は、この状況に本当に屈服するのだろうか。政権の手法に協力したり、忖度する側に、彼らまで回るのだろうか。「巨悪を眠らせない」と言っていた、彼らのプライドが、いかにもの政権の支配によって、いくらなんでこんな形で踏みにじられていいのかと問いたくなる。彼らにとって、ここで従うことに何のプラスがあるのだろうか。このままでいけば、司法権の独立が政権によって侵された、その時にも「眠っていた」検察という汚名が残るだけとなりかねない。

 焦点の検事長は、永田町や霞が関では皮肉を込めて「官邸の守護神」と呼ばれていることが、既に広く報じられている。当のご本人が、これに対しどういうお気持ちかは分からないが、検察にとってこれほど不名誉な上層部への称号は考えられないのではないか。

 安倍政権下で現出しているのは、もはや棄損された民主主義国家、棄損された法治国家となっている、わが国姿である。そして、司法にまでが、いよいよその手法の中に落ちるのであれば、もはや「独裁国家」という言葉が、真実味を帯びてきてしまうはずである。



スポンサーリンク


関連記事

New Topics

投稿数1,195 コメント数410
▼弁護士観察日記 更新中▼

法曹界ウォッチャーがつづる弁護士との付き合い方から、その生態、弁護士・会の裏話


ページ上部に