ある田舎町で起きた毒殺事件。容疑者の男は一貫して否認していたが、一、二審とも判決は死刑だった。直接証拠は何一つないが、状況証拠からは、その男がやった、と疑わせる。だが、弁護人は「警察は町の半分くらいを調べただけで、彼を逮捕した。残り半分を調べたらば、同じような状況にある人間が出ていた可能性がある」と主張していた。
一人の上告審裁判官の中に、一抹の不安が生まれていた。合理的な疑いを超える心証が取れれば有罪というのが刑事訴訟の建て前。弁護士の言い分だけで、一、二審判決を覆すだけの理由があるとはいえない。だが――。
そして、迎えた判決言い渡し日。「本件上告を棄却する」。判決を終え、彼が他の裁判官とともに、裁判官専用出入口から退廷し始めた、その時だった。
「人殺し!」
傍聴席から放たれた罵声が、彼を貫いた。この一言が、この瞬間から法学者である彼を終生の確定的死刑廃止論者に変えることになる。6月25日に98歳で他界された刑法学の大家、団藤重光・東京大学名誉教授の有名なエピソードである。
団藤氏は、後年、このエピソードをこう振り返っている。
「その事件で私が感じたわずかな不安というものは、多分に主観的なもので、人によって違うと思います。その小法廷の5人の裁判官の中でも、そういう不安を持ったのは、おそらく私だけだったでしょう。残り4人の裁判官は、自信を持って死刑判決を言い渡したと思います。でも私には、わずかに引っかかるものがありました」
「しかし現在の司法制度の下では、このようなケースで判決を覆すことはできません。そして死刑制度がある以上、この事件で死刑が確定したことはやむを得ない結果でした。私はこの経験を通して、立法によって死刑を廃止する以外には道はないとはっきり確信するようになりました」(「死刑廃止info『死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ』」
裁判官が確信を持てない事案でも、死刑を出さざるを得ない現行制度では、誤判の可能性は払拭できない。葛藤が彼に道を与えた。
彼は、いわゆる「永山基準」が示された「永山事件」の第1次上告審判決以降、下級審で死刑判決が以前より出される傾向になった、と見て、裁判官に向けて、頭を切り替えてほしい、として次のようなことも語っていた。
「感情に流されたら裁判は成り立ちませんが、しかし感情を抜きにした血も涙もない判決というのは、司法の精神を殺してしまいます。血も涙もある、しかし法律はちゃんと守るというものにして欲しい。そうすれば死刑判決はもっと減ると思います」
しかし、いまや彼を法学者としての葛藤に導き、そして裁判官に向かっても「司法の精神」の要として説いた「感情」と死刑判決というテーマは、裁判員制度によって、無作為に「裁きの場」への出頭を強制される国民全体のテーマとなった。ただ、彼は、その葛藤を国民に押し付けることを、よしとはしなかった。
「死刑廃止なくして裁判員制度なし」
こうしたタイトルで2007年12月20日の朝日新聞朝刊に掲載されたインタビュー記事のなかで、こう語っていた。
「裁判員は民衆から起ってきた要求によるものではない。政府が考えた根無し草。もし裁判員制度が始まるのなら、どうしても同時に死刑を廃止しなければだめです。ヨーロッパの参審制の国では死刑が廃止されているから、国民が国民に死刑を言い渡すことはない。『死刑廃止なくして裁判員制度なし』です」
「ジャーナリズムが『被害者は、こんなにも悔しい』とむき出しの感情を流していては、国民は法的な判断力を持てないままになる。そうした国民が出す判決は、それだけ間違う可能性も高まります」
彼は、葛藤を押し付けることの問題性を「裁く」側の負担としてではなく、その先に存在することになる「死刑」と「裁かれる」側の視点で訴えていたように見える。分からないまま、「裁く側」に立たされる市民と、順調が強調されている制度。そのなかで死刑制度は「裁く側」の負担としては、時々スポットライトが当たるが、それは彼が抱えた本当の葛藤を伝えるものとはいえない。
小川敏夫・前法相は3月29日の記者会見で、「国民の声を反映するという裁判員裁判においても死刑が支持されている」と述べた。国民から選ばれた裁判員の死刑判決関与をもってして、「死刑支持」とする論法は、団藤氏の問題提起を覆い隠し、さらに遠ざけるような響きを持つ。
前記インタビューの最後で、「裁判員制度が始まれば、死刑判決に関与した裁判員も『人殺し!』の声を受けることになるのでしょうか」という問いかけに、団藤氏はこう答える。
「なぜ『人殺し』かっていえば、そういうことをしているからね、人殺しだって叫ばれるわけですよ。そう言われた方がいいんですよ」
彼の人生に道を与え、そして彼が伝え残した「葛藤」の本当の意味を、依然「裁く」側に立つことを強制されかねない多くの国民が共有できないままでいる。