新法曹養成の多様性とは何だったのか――。「改革」の現実をみるにつけ、ずっとつきまとっている疑問である。司法制度改革審議会最終意見書、中央教育審議会特別委員会提言以降、繰り返し言われてきた「多様なバックグラウンド」の人材を受け入れるという構想。新プロセスが多様性を生み出すのではなく、「受け入れ」そのものに焦点が置かれているこの捉え方は、新制度のプロセス強制下では、旧体制よりもむしろ逆行することは明らかだった。
司法審でうたわれた全国的適正配置、夜間大学院・通信制大学院、 奨学金、教育ローン、授業料免除制度等の各種の支援制度の整備・活用は、いわばそのことを十分承知したうえでの是正策だったといえる。
しかし、この是正策によって、誰でも、少なくとも経済的時間的負担がはるかに軽くチャレンジできた旧司法試験体制よりも、「多様化」が進んでいるという評価を聞かない。その意味で、是正策はうまくいっているとはいいにくい。少なくとも、多様性確保ということを考えれば、是正策の効果よりも、強制化の負担の方が重く、足を引っ張っていることが推認できてしまうのが現状である(「『多様性』のプライオリティ」)。
10月23日の毎日新聞が「司法試験見直し 抜本改革につなげよう」というタイトルで社説を掲載しているが、そのなかに次のような文面が出でくる。
「2000年代に始まった司法改革では、多様性のある人材が法曹界には必要だと強調された。法律的な素養だけでなく、交渉能力や人権感覚、国際感覚などが求められた。他分野で活躍したり、大学で法律以外の勉強をしたりしてきた人が法曹の世界に進むことを期待したものだ。法科大学院はそのための仕組みとして創設された」
「一発試験でなく、大学院で2〜3年勉強すれば、相当の人が合格できる試験、『養成のプロセス』を大切にし、理論だけでなく実務的な内容も重視する教育を目指すとされた」
「だが、実際には試験合格までの壁は高く、多様性のある人材が挑戦する環境は整っていない。現状は司法試験合格率の高さで大学院が二極化し、低迷校の淘汰(とうた)が進む」
「一方、弁護士の就職難もあり、法曹志願者自体が減少傾向だ。司法改革の議論の中で、『国民の社会生活上の医師』との表現で、法律家が果たすべき役割が示されたことがある。高齢化が進み、貧困層が拡大する今の日本社会で、その理念は色あせていない」
「法律家の卵に求められる能力をどう試すか。現状の反省も踏まえて、試験内容、選抜方法の見直しを検討してほしい」
「多用性」確保を「改革」の目的に位置付けながら、「プロセス」の強制化が決定的にその足を引っ張っている現状認識はどこにもない。そして、その原因をどうも「司法試験の壁が高い」ことにあると位置付け、タイトルの結論に持っていっている。
しかも、法曹志望者減の原因になっている「弁護士の就職難」に言及しながら、「高齢化が進み、貧困層が拡大する今の日本社会」で、司法改革路線の法律家の役割論の理念が「色あせていない」と片付けている。前段の現象を考えるならば、当然、後段の「理念」が弁護士を支える有償需要につながっていないということに気付かなければおかしい。
この毎日のとらえ方は、同紙に限らず大マスコミ、「改革」路線を守ろうとする側に共通したものといっていい。現実を直視せずに、延々と「改革」路線維持に都合の悪い部分を看過するような論調である。法科大学院制度のデメリットとその制度を支える増員路線の無理を認めず、そこから目をそらさせ、結局、供給制限をしている司法試験元凶説に持っていく手法である。
この論法のなかで、「多様性」確保という目的達成は、現実性を帯びているといえるのだろうか。むしろ、「多様性」というテーマへの、「改革」の真剣度の方を疑いたくなってくる。