司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>




 公文書の改ざんやずさんな管理が、さんざん問題になってきた安倍政権下で、また、新型コロナウイルスへの対応を検討する専門家会議の議事録が残っていないことが問題になっている。政府は3月、新型コロナウイルスの感染拡大を公文書管理のガイドラインに基づく「歴史的緊急事態」に指定。ところが、ガイドラインの「政策の決定または了解を行う」かどうか線引きで、「行わない」会議に該当するという理由で、活動の進捗状況などを記録すれば足り、議事録は作成していない、というのである。

 政治判断にゆだねられている面が問題になっていたガイドラインの弱点が、もろに仇となった観があるが、もはやそれも善意解釈にとれる。この政権は、公文書管理の重要性、それが何のために必要なのか、その根本を理解しておらず、理解しようとしていない。抜け道のあるガイドラインを、政権の思惑通り、うまく活用しただけではないか。

 そもそも初の「歴史的緊急事態」に指定するくらいの、国家としての重大重大事態であるという認識は、この政権にあったことになっている。ならばなおさら、少なくとも「政策の決定または了解」に無縁ではない会議の議事録は、前記公文書管理の重要性を理解しているのならば、国民が分かる形で、後世に検証し得る形で残さなければならない、残すべきと考えていい。

 百歩譲って、それが問題になってきた政権であるならば、それへの反省の気持ちが少しでもあるのならば、のちのち問題になることも想定し、「残しておくにこしたことはない」という判断になぜならないのだろうか。もはや、できるだけ出さない、出したくないで済ます、という政権の意思があからさまに露出しているではないか。

 この件で会見に臨んだ菅官房長官も、西村経済再生担当大臣も、口をそろえて「専門家に自由かつ率直に議論していただくため」という趣旨の発言をしている。この発言に、当の専門家会議の方たちはどう思っているのだろうか。議事録で名前が公表され、発言の主が特定されると不都合であり、そういう前提となると委縮して「自由かつ率直」な議論ができない、専門家とされているのである。そのような自覚でこの会議に参加しているとはとても思えない。彼らに対する侮辱にさえ聞こえる。

 国民の側からすれば、専門家同士がどういう意見を出し合い、どう議論したのかは当然に聞きたい。政治判断の前に、専門家が現状をどうみていたのか知りたい。それこそ、これ自体、前記侮辱が解消されるわけではないが、匿名の議事録だって作れる。要は守りたかったのは「自由かつ率直」な議論ではなく、また配慮のようにいっても、隠したかったのは、発言者を特定できる氏名でもない。

 つまり、細かな専門家の知見が、のちの政治判断の枷になる形、それの扱いがのちのち揚げ足をとられる余地を残すことを極力避けたかったのではないか。そうとられても仕方がない。もとよりそこにこそ、国民の批判耐え得るものがなければならない。堂々と政治判断をして、国民に説明責任を果たすつもりであるならば、そこを恐れて隠すというのであれば、当然筋違いだ。もし、そうなのであれば、そもそも国民の前に、公明正大に臨む意識の欠如すら疑わなければならなくなる。

 安倍政権は、やはり恐ろしい勘違いをしている、といわなければならない。国民に公開しないこと、そのための記録を残さないこと、国民の検証に曝されないこと、それを独自判断で遂行しても許されること、自らがそういう権力を掌握しているということ、そして、それを時間が経過すれば、やがて国民は許してくれ、不問にしてくれるだろう、ということ。

 われわれと、われわれの社会は、もはやこの政権に、相当に侮辱されていると考えるべきである。



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