司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>



 

 テレビ出演で顔が知れた人物がYoutubeで配信した、生活保護受給者や路上生活者に対する差別発言がなみ紋を呼んでいる。ご本人は既に反省と謝罪の意向を示しているが、「炎上商法」といわれるような風潮や、プラットホームの責任などを含め、依然議論を提供する形となっている。

 「生活保護の人たちにおカネをはらうために税金を納めているんじゃない」

 「生活保護の人たちに食わせるカネがあるんだったら猫を救ってほしい」

 「ホームレスの命はどうでもいい」

 「(社会は犯罪者について)」群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きている」

 「ホームレスって言っちゃ悪いけどどちらかというといない方がよくない」

 「邪魔だしプラスにならないし、臭いし治安がわるくなるく」

 生活困窮者支援団体が抗議声明のなかで明らかにしているように、ここで示されているのは「優生思想」そのものであり、ヘイトクライム誘発の危険性がある発言である。生活困窮者に対する無理解を通り越して、他者に対する思いやりそのものを感じない発言である。

 ここであえて、こだわりたいのは、ここに見られるような自己中心性、自分の価値、利益からだけ他者を評価すること、というより、それが通用する、許されると考える思考そのものについてである。それが著名人の差別発言、ネットでの誹謗中傷の増加にも通底し、それを根本的に支えている「加害者」の思考の共通点に思えるからだ。

 冒頭の人物は、批判に対し、当初、彼の当時の思考を知るうえで参考になる反論をしていたと伝えられている。「個人の感想」。「加害者」の中にある「個人」の意見表明ならば、差別の所在以上に、許されるという傲慢な驕り、勘違いが、まず存在しているようにとれる。

 もう一つは、ネット環境ならば許されるという思い込みもあるだろう。この彼にしても、テレビでは許されないことを認識していたかもしれない。ただ、誰でも発信できる、さらに刺激的、攻撃的発言が通用し、それが「炎上」という形で、注目度という別の価値を生むネットの世界にあって、より「通用する」と考えてしまったことは考えられる。ユーチューバーといわれる人たちが不祥事に陥る心境に共通してみられる発想と言っていい。

 さらに、自分の地位が生んだ誤解というのも、より根本的な彼らの共通点というべきかもしれない。そもそもネットでの発言に限らず、記憶に新しい件の辞任に追い込まれた東京五輪組織委会長発言や、芸能人の過去の差別問題をはじめ、政治家がメディアの前で一旦は堂々と披露した「不適切発言」に至るまで、もはや自分はこれを言っても許されると思っているかのような無神経な感性がみてとれる。

 彼らがその時は、少なくとも一旦は、「許される」と考え、スポイルしてしまう根本的な原因は、取りも直さず、彼らの中にある差別や、その問題性に対する認識の、決定的な底の浅さということにはなるだろう。列挙したような、冷静に考えれば分かりそうな、といいたくなる、思い上がりと勘違いで、やすやすと越えてしまうほどの感性しか、彼らは持ち合わせていなかった、ということの証左にほかならないからだ。

 この点が、形式的でお決まりの言葉を並べているようにみえてしまう、その後の彼らの謝罪や反省の、その評価に向けられるべきことは当然だろう。

 そして、ここには私たち社会にとって、さらにもっと厄介な問題が横たわっているように思えてくる。彼らが勘違いしている、あるいは少なくともその時、

本人の意識無意識を問わず、堂々と「通用する」と信じた世界とは、「差別する自由」も認められる社会であり、彼らの言動がさらにそういう形で、社会に共感を持って受けとめられ、浸透していく危険性をもっていることである。

 彼らの言動が問題化し、謝罪・反省や辞任に追い込まれるという、「通用しない」社会の意思が、この国に存在していることは、まだこの国の健全さを示している、とはいえる。しかし、決して油断できない。これらを悪しき、不気味な兆候として警戒する感性を、私たちは維持し続けなければならない。



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