東日本大震災と福島原発事故という、あまりにも大きな事象の前に、それ以外語るべきものを失ってしまいそうになる--。2011年は、多くの日本人にとって、そういう年だったといってもいいだろう。そして、あるいは、その衝撃的な1年の記憶とともに、この司法制度改革審議会の「改革」路線10年の節目の年は、法曹界関係者にとって、特別な記憶として刻まれる年になったかもしれない。
それは、司法審「司法改革」の大きな曲がり角の年、さらにいえば、その行き詰まりがより明確になった1年という年、いわば「終わりの始まり」ともいえる年だったといえるからだ。
おそらくこの10年間で、これほど「破綻」「失敗」という言葉が法科大学院という法曹養成の中核に位置づけられた存在に浴びせられた年はなかった。行政刷新会議の「提言型政策仕分け」では、厳しい追及は、この大学、法曹界、学生、そして国民、「誰にとっても不幸な制度」の存在を浮き彫りにした。
「法曹の養成に関するフォーラム」が開催され、「給費制」廃止、「貸与制」移行の方向が打ち出されたものの、それでは収まらず、政治の舞台では、「給費制」維持の方向での反攻ともいえる動きが起こっている。国会では、政府は貸与制の下で修習資金の返済が困難な者について返還を猶予する裁判所法一部改正案を提出。これに対し公明党から、2013年10月31日までに様々な問題点が指摘されている法曹養成に関する制度を見直し、その間は給費制を維持するという修正案も出され、継続審議となった。
むしろ「フォーラム」の議論は、大前提としての法科大学院中心主義への疑問を強めた観すらある。経済的な問題としても、「給費制」消滅もさることながら、そもそも法科大学院というプロセスの負担が、一段とクローズアップされる結果となった。
法曹人口問題も、弁護士の就職難とともに、「即独」時代のOJT欠落がこれまでになく弊害としていわれ、弁護士会が一層深刻に受け止めた年でもあった。司法修習修了者の弁護士志望者が一斉登録日に推定400人が未登録だったという報道が波紋も呼んだ。日弁連内部では遂に司法試験年間合格者3000人目標の旗を降ろし、現在の2000人から1500人に減員、さらなる減員も視野にいれるという方向も検討されている。
法曹の大量増員がなければ法科大学院は、その設立の前提の一つを失い、かつ法科大学院がなくなれば、当然激増政策も見直さなければならなくなる関係にある。いよいよ状況は、そこに突入しているように見える。
そして、なによりも現在の弁護士の状況と法科大学院・法曹養成の実態、負担が、法曹志望者を法曹界から遠ざける、人材はこなくなる、という問題が、これほど深刻に語られた年もなかった。法科大学院側が叫ぶ司法試験合格率低迷元凶説、つまり、なんとか合格率を上げろ、上げない司法試験という門がおかしい、といった論調では、既に事態がおさまらないことが、はっきりした年だったともいえる。
そして、迎える2012年。「改革」の仕切り直しは、本当に行われるのか。今回の原発事故を通して明らかになったのは、政策にとっての不都合な真実を覆い隠す、この国に存在する「村」の存在、また、その連帯だ。原発というものの生き残りへ、早くも彼らが動き始めているという見方もできる。これからの「改革」をめぐる論議も、同様に「改革村」の方々の動きに注目しなければならない。
逆に言えば、「改革」推進者、旗振りをしてきた方々にとっての、「痛みの伴う『改革』」が始まろうとしているともいえる。どれだけこれまでの「路線」の呪縛から抜けることができるのか、つまり、「改革」を白紙から考えられるのか――「改革」路線の「終わりの始まり」の年を送り、その一点にこれからがかかっているといっても過言ではない。