司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

1990年5月、日弁連は高知市で開いた定期総会で、「司法改革宣言」を満場一致で採択した。これは、その後、2009年まで11次にわたり発表することになる同宣言の第1次宣言であり、その後、大きな流れとなる今回の司法改革に日弁連が主体的にかかわり、行動する決意を示した行動宣言として、「改革」推進派の日弁連関係者が、その歴史的意義を強調してきたものである。

 一面、この宣言は、それまでの司法問題に対して、批判と提言を繰り返してきた日弁連の取り組み姿勢を改め、行動する日弁連に転換するものであり、それは同時に、この「改革」の主導権を日弁連がとろうとするものでもあった。そして、この舵を切るのに、大きな役割を果たしたのが、この年、会長に就任していた中坊公平氏だったのである。

 この宣言を改めて読んでみた。憲法施行、司法制度が一新されて以来40数年、「司法をとりまく状況は大きく変化し、特に経済活動の発展と行政の拡大は、国民生活の向上をもたらした反面、国民に対する人権侵害等さまざまな摩擦を生じさせ」「一般の法的紛争も増加し、その多様化、複雑化が顕著」であり、「国民は、司法があらゆる分野において人権保障機能を発揮するとともに、各種の法的紛争が適正迅速に解決されることを強く期待している」。しかし、わが国の司法の現状は、「国民の期待に応えていないばかりか、むしろ国民から遠ざかりつつあるのではないか」――。

 こうした現状認識のもと、宣言は「国民主権の下でのあるべき司法」「国民に身近な開かれた司法」への抜本的改革の必要性を掲げ、4つの改革目標を挙げた。

 一つは「司法を人的・物的に拡充するため、司法関係予算を大幅に増額」。二つ目は「司法の組織・運営に生じている諸問題の国民の視点から是正」。三つ目が「国民の司法参加の観点から陪審や参審制度の導入検討」、そして四つ目が「法曹一元制度の実現」である。

 「改革」推進派の弁護士のなかには、この宣言の10年後に出され、推進派が「改革」のバイブルとすることになる司法制度改革審議会の最終意見書と、この宣言の共通性を肯定的に指摘する見方がある。

 肝心の陪審制が裁判員制度になり、法曹一元は姿を消しても、司法審路線の改革の三つの柱、「国民の期待に応える利用しやすい司法制度」「質量ともに豊かな法曹を確保」「国民の司法参加」にそれぞれ対応するものが、確かにここに掲げられている。司法審意見書との共通性をいう主張は、日弁連が「改革」をまさに主導してきたことをいわんとしている。

 ただ、多くの弁護士は、現実がそうではないことを知っている。その後の歴史を知っているものは、悲願の法曹一元をはじめ、日弁連の主張の重要部分が消されるか、変更されることで、「改革」が当初の形から変質したことも知ってしまっているのである。

 それだけではない。そもそも日弁連が主導し、その後、ぴったりと共鳴したかのように描かれる司法審路線そのものが、正しかったのかが、ずっと問われている。

 宣言のなかの「国民の期待」をいう下りは、まさに「国民のため」の「改革」へ会員を鼓舞する響きがあるが、ここで忖度された国民の意思とは何だったのか。国民が本当に「身近な司法」を期待し、「法曹の質・量」の確保を求め、「国民参加」を望んでいたのか。

 のちに「二割司法」という描き方や、裁判員制度の登場を今、知ってしまっているがゆえに、この部分が、「身近」ということで弁護士が社会のあらゆる場面に登場する社会であったり、質を返りみない法曹の増産であったり、それを支える有償のニーズが大量にあり、国民がおカネを投入する用意があるように描かれることであったり、はたまた国民を強制して裁判で裁かせる制度ということであったとき、その「改革」につながっていた、この宣言にも、やはり国民は「いなかった」のではないか、という思いを、強くしてしまう。

 司法審に至る日弁連の「改革」をめぐる、その後の十年は、実は「上からの改革」になんとか「下からの改革」の意味を持たせるための闘いだったともいわれている。

 それはまだ続いていると見るか、それとも前記変質が、その敗北を示しているとみるかでは、評価が分かれるところであるが、日弁連自身がこの「改革」の負の部分の「共犯者」であるという視点も含めて、どこからボタンをかけ違えたのかが、そろそろそれが問われはじめてもいように思う。



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