司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

■織田信夫
裁判員制度反対派の論客である弁護士である筆者が、裁判員を強制する制度の問題を中心に鋭く斬り込みます。
1933年11月18日生まれ。1970年弁護士登録(仙台弁護士会)。1988年仙台弁護士会会長、1989年日弁連副会長、1999年東北弁護士会連合会会長などを歴任。
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 〈別個の憲法問題として認識〉

 第二小法廷が新たに被告人に対し、選択権を与えないことについて憲法判断を示したことは、その結論及び理由付けの正当性はさて置き、選択権の問題が、裁判員制度の憲法問題とは別個の憲法問題を含むものであることを認識していたということであり、その限りでは評価し得る。

 裁判員制度が仮に合憲の裁判制度としても、被告人にその制度の辞退、選択を認めるか否かは、やはり慎重に憲法との関連性を考慮しなければならない問題であり、選択権を認めれば制度自体が成り立たなくなるという便宜的理由で見過ごされて良いような問題ではないということである。

 同判決は、「憲法は刑事裁判における国民の司法参加を許容しており、憲法の定める適正な刑事裁判を実現するための諸原則が確保されている限り、その内容を立法政策に委ねていると解されるところ、裁判員制度においては、公平な裁判所における法と証拠に基づく適正な裁判が制度的に保障されている」ことをもって被告人に選択権を与えないことの合憲の理由とする。

 さすがに、選択権を認めれば被告人は裁判官裁判を選択し裁判員制度は崩壊してしまう恐れがあり、裁判員制度を維持することは被告人の利益に優先すべきであるからとか、或いは司法審意見書が掲記する、この制度は本来被告人のためというよりは他の目的があり、その目的は被告人の選択を認める余地のないほどの公益性があるからなどとは理由付けしていない。

 本稿のこの選択権の憲法問題についての検討は、この理由の正当性の検討から始まる。

 〈立法政策につなげる論法〉

 前掲最高裁大法廷判決は、「刑事裁判を行うに当たっては、これらの諸原則が遵守されなければならず、それには高度の法的専門性が要求される。憲法はこれらの諸原則を規定し、かつ、三権分立の原則の下に『第6章 司法』において、裁判官の職権行使の独立と身分保障について周到な規定を設けている。こうした点を総合考慮すると、憲法は刑事裁判の基本的担い手として裁判官を想定していると考えられる」と判示する。

 この「基本的な担い手」とは、一体何を意味するのであろうか。私は、前掲の大法廷判決批判の中で、この点について「判決が裁判の基本的な担い手などという誠に曖昧な表現で裁判官の身分を解しているのは、その判断の前提のどこかに、憲法に下級裁判所の構成に関する明文の規定はなくても歴史的に裁判官のいない裁判所はない、裁判所は裁判官によって構成されるという当然の前提があるとの認識を有していることは間違いがない」と説いた(第3回)。

 大法廷判決はその理由を、裁判官によって構成されない裁判所はないけれども、かかる裁判官が裁判体に加わって公平性、適正性が担保される制度であれば陪審制・参審制のような国民参加型裁判形態をとるか否かは立法政策の問題であるということに結びつけている。

 二小判決は、これをさらに推し進めて、被告人に国民参加型裁判と裁判官裁判との選択を認めるか否かも立法政策の問題であると結論付ける。



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