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 〈最高裁判決理由の示す意義〉

 

 このK氏にかかる殺人未遂と爆発物取締罰則違反幇助罪での起訴については、起訴当時から評論家の江川紹子氏は「かなり無理筋という感じがする」と自身のブログに書いていた。結果的にはその受け止め方どうりになったことからすれば、検察官が起訴に踏み切ったことについても問題視されなければなるまい。本稿ではその点には触れない。

 

 このK氏にかかる裁判の流れを見れば、直感的に、一体裁判員裁判の存在意義はどこにあるのであろうかという疑問を持つのは単に私だけではあるまい。私は2015年11月東京高裁が1審有罪判決を破棄し無罪の判決を言い渡したことについて、「裁判員制度制定時、上訴制度には手をつけられなかった以上、この東京高裁のとった態度には何ら問題はないけれども、その態度が、それでは1審の裁判員裁判はどのような意義、効果があったのか、裁判員の役割は何であったのかという根本的疑問を投げかけたことは間違いない」と書いた(拙著「裁判員制度はなぜ続く」13頁)。

 

 今回の最高裁判決の判決理由が示したものは、それは、本来その理由を付さなければならないものではなく正に蛇足理由であるがそれはさて置き、「合理的な判断を示すためには、……推認過程の全体を把握できる判断構造……について共通認識を得た上で、これをもとに、各証拠の重みに応じて、推認過程等を適切に検討することが求められる」と判示した。

 

 これまで裁判員制度推進の立場に立つ者は、事実認定は法律解釈や判断とは違い自分の感覚でなし得ることであると言われてきた。最高裁判所発行の「裁判員制度ブックレット」にも、「強調したいのは、証拠を検討して事実を認定する場合、難しい公式や理論を理解することが求められているわけではないということです」「事実を認定していく作業は、国民の皆さんが日常的に行っている判断の場合と、本質的には同じなのです」という新最高裁長官大谷直人氏の説明がある。大谷氏は当時最高裁事務総局刑事局長であり本最高裁判決をした第1小法廷の構成裁判官の一人である。

 

 しかし、この最高裁判決は、前述のように、司法研修所でも教えないような「推認過程の全体を把握できる判断構造」、推察するに間接事実を積み上げて事実の有無を判断するために必要な考えの進め方について、裁判員及び裁判官は共通の認識を持たなければならない、且つ、個々の証拠の重みなるものを判別して、間接事実を積み上げて事実認定が適切に行われたかを検討することが必要だというのである。原審高裁は「第1審判決による判断構造を十分に捉え直さな」かったので、そのままでは是認できないのだという。

 

 裁判員の資格要件は、基本的に義務教育を修了した衆議院議員選挙権を有する者ということのみであり、裁判員はその中からくじで選任される。かかる裁判員の事実認定には難しい公式や理論は必要としないと言っておきながら、前述のような、難しい判断構造の共通認識を共有しなければならない、証拠の重みも判断しなければならないなどと、事実認定についての考え方について本件最高裁判決は、前述のブックレットとは全く逆のことを言っているということである。



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