司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈はじめに〉

 

 オウム真理教事件といわれる日本の犯罪史に残る記録的凶悪事件の一連の刑事裁判が、今年1月25日T被告人の最高裁判決に対する異議申立て棄却決定により全て終了した。

 

 189人が起訴され、そのうち13人に死刑判決、5人に無期懲役の判決が下され、その他の殆どの被告人が有期懲役刑に処せられている。注目すべきはその中で、今回菊地直子被告人(以下「K氏」という。)に対して無罪の判決が確定したことである。

 

 周知のことだが、このK氏については東京地裁で行われた1審裁判員裁判で2014年6月30日懲役5年の有罪判決が言い渡され、K氏は即日東京高裁に控訴し、2015年11月27日同高裁で無罪判決が言い渡された。検察官が上告したが、最高裁は2017年12月25日、決定でその上告を棄却し、同決定は訂正申立てなく確定した。

 

 この一連の裁判所の判断、特に東京高裁の1審判決破棄無罪の判決については、マスコミやSNSで種々の発言がなされた。今回の最高裁の上告棄却決定についての反応も、そのときのものと似たり寄ったりだが、その決定内容には特異なものがあるので、その点について述べ、さらに裁判員制度との関係について考えてみたい。

 

 

 〈最高裁決定の特異性〉

 

 その決定を読んで驚くことは、検察官の上告趣意の全ては刑訴法405条の上告理由には当たらないと判断し、しかも、結果として1審判決を破棄し被告人に対し無罪の言渡しをした原判決は結論においてこれを是認することができるとして上告を棄却しているのであるから、本来ならその余の判断は不要の筈であるのに、「所論に鑑み、職権で判断する。」として控訴審紛いの事実認定に踏み込んで判断していることである。

 

 原審の無罪判決理由と同じ理由で無罪判決を支持するのではありませんよと断りたかったのであろうか。

 

 確かに世間の耳目を集めた事件であり、「特殊な宗教団体による大規模な組織的犯罪の一環としてなされたものであること」(決定文)から、無罪判決をするについては国民に対する説明責任を果たさなければならないとの最高裁なりの使命感があって判断が示されたのではないかとも思われる。そうとすれば、それ自体は決して避難されることではないであろう。

 

 

 〈最高裁決定と原審東京高裁判決の理由の異同〉

 

 それでは、原審の判断理由と最高裁の判断理由のどこが違うかということである。どちらも1審判決の判示は「間接事実からの推論の過程が説得的でない」として、1審判決が説示する間接事実の積み重ねによって殺人未遂幇助の意思を認定することはできないとの判断については共通している。

 

 どこが違うかというと、最高裁決定によれば、原審の判断には「裁判体として、個々の証拠の評価のみならず、推認過程の全体を把握できる判断構造について(裁判員とともに)共通認識を得た上で、これをもとに、各証拠の持つ重みに応じて、推認過程等を適切に検討することが求められる」のに、原判決には「第1審判決による判断構造を十分に捉え直さないままその判断過程に沿って個別の事実認定を検討した上、その不合理性を具体的に示していない説示部分を含んで」いたということである。

 

 その部分とはどういうことかについて最高裁決定は具体的に、正に噛んで含めるように1審判決の問題点を指摘している。それは正に高裁裁判官を諭しているようにもとれる。



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