司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>



 〈「よかった」という経験者の感想の扱い〉
 

 問題は、職業裁判官についてはそのようにいえるにしても、素人且つ非常勤裁判官である裁判員についてはどのように考えたらよいかということである。

 そこでもやはり国民の知る権利との関係を考慮の外に置くことは許されまい。裁判員も独立して職権をおこなう者であることについては裁判官と何ら変わりがない(裁判員法第8条)。裁判員が最終結論において多数の出した結論とは違う結論に至った場合には、その理由と結論を顕名で表示することが許されるべきである。或いは、「裁判員の1ないし複数の少数意見があった」との記述がされるべきではないかと考える。

 裁判員が職業裁判官と本質的に異なる点は、その職業に従事するのは、自分の自由な意思によるのではなく、強制によるものだということである。辞退・拒否が事実上自由にできる現状からすれば、裁判員となった人は自由意思によってその職についたものとも解され、その点からすれば職業裁判官と変わりはないかもしれないが、制度上は義務として裁判員の職務を担当するものであり、裁判員は日常他の職務に従事する一般社会人であるから、そのプライバシーは守られなければならない。

 しかし、自らそのプライバシー権を放棄して多数意見と異なる意見を表明したいと思う場合には、表明する権利が与えられなければなるまい。また、国民もその意見表明に接する権利があるといってよい。

 そのように、裁判員法が裁判員の守秘義務について広く職務上知り得た秘密、評議の秘密という抽象的・包括的表現で秘密を規定することは、裁判員の表現の自由及び国民の主権者としての国家意思決定過程についての知る権利の確保の観点からすれば看過し得ない問題があるといえる。

 評議における裁判員の自由な発言の確保の必要性は、裁判官のみの場合と同様であるが、出された結論についての意見の表明は、裁判員の評議中における自由な意見の表明に関わるものではない。仮に、裁判員の中で少数意見を明示したいけれども顕名は困るという場合には、「裁判員某」との表記でも一向に差し支えあるまい。


 ところで、前述の裁判員経験者らが主張する守秘義務緩和の主張というのは、このような裁判の評議の秘密の本質又は国民の知る権利、裁判員の表現の自由という視点からのものではなく、裁判員が終生秘密を抱えることになる心の負担の軽減と、裁判員としての経験、その多くは前述の「良かった」経験の一般人との共有によって裁判員になってみたいと思う人が増えることに通ずるという広報効果の視点からのものである。

 それらの意見は、裁判員の経験が人生の上で貴重な経験であり、今後社会人として生きていく上で大いに役立つ式の人生論によるものと言える。しかし、それは全くのお門違いということであろう。裁判員という職務は、国民の教育、錬成の場ではない。戦前の徴兵制による新兵教育のように国家への忠誠心を涵養する場でもない。司法制度改革審議会が、国民の司法参加の項目で述べている「自らのうちに公共意識を醸成し公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められる」というくだりは、国民の国家への忠誠心の涵養を意図したものかもしれないが、司法制度は国民の裁判を受ける権利を保障する場、つまり国民の福祉に資すべきものであって、国民教育強制の場ではなく、また裁判員経験者に良かったと思えるような体験をさせる場でもない。

  以前紹介した今関源成教授の「政府が公共性・徳性を振りかざして個人の内面の改造を意図する試み」に乗ってはならないものであるから、裁判員経験者の多くがその経験について述べている「よかった」「有益であった」との感想はその試みに乗ってしまったに過ぎないものであり、制度の存在価値につながる評価ではない。


 〈日本の裁判に求められること〉


 今、日本の裁判に求められることは、全ての裁判官の真の独立ではないかと考える。合議体においては、各裁判官は自らの単独の事件と同様の認識、つまり各裁判官がその事件の対等な主任裁判官であるとの認識を持ち徹底的に議論すること、自己の意見が少数意見であれば必ず判決書に自己の意見を表明することではなかろうか。

 裁判所法75条Ⅱ項の「その評議の経過並びに各裁判官の意見及びその多少の数については……秘密を守らなければならない」との規定は、評議の経過、各裁判官の意見その多少の数が即秘密となるものではなく、それらの特に秘密としなければならない事情、例えば関係者の基本的人権に関わると解される事項を除いては、公開してもこの規定に違反することにはならないとの解釈もあり得るのではないか。むしろ合議体における対等な立場での裁判官間による議論・激論がなされ、その結果として少数意見が国民の前に明らかになれば、裁判に対する信頼性が増すことに繋がると考える。

 裁判官と裁判員とは実質的には決して対等な立場のものとは言えない。職業裁判官は法令に精通し多数の裁判を日常処理しているものである。一方裁判員は、日常は他職に就いている一般的には法律に無知の素人であって、裁判などという特殊な職務に就いたことのないものであり、一回限りの裁判という非日常の場で裁判官と対等であり得ないことは100%間違いない。裁判員法自体66条の規定がそれを自白しているようなものである。

 日本の裁判に求められることは、選挙人名簿からくじで選ばれた、素性の分からない素人を裁判に参加させて、その意見をプロが拝聴することではなく、最高裁判所を含めて職業裁判官の合議体裁判の活性化を図り、全ての裁判官が憲法76条Ⅲ項に則って真に憲法と法律にのみ拘束される裁判官としてその職務を遂行することではないかと思う。

 裁判員の守秘義務の緩和という矮小化された問題を論ずるのではなく、その議論を一つのきっかけとして、現在の日本の裁判をどうしたらよいか、今のままでよいのかを徹底的に議論すべきときではなかろうか。そこに真の司法改革の道が広がる。

                           



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