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 〈国家権力に奪い取られた時間〉
 

 2020年12月5日免田栄さんが亡くなった。享年95歳。免田さんは、敗戦から3年余後の1948年暮れに大分県人吉市で一家4人が殺害された強盗殺人事件の犯人として逮捕起訴され、1950年熊本地裁八代支部で死刑判決を受けた。その後、無罪を主張し控訴、上告して争ったがいずれも受け入れられず、1952年その死刑判決が確定した。

 しかし、その後6度再審開始の申立てをし、1980年6度目の申立てで再審開始が確定し、1983年熊本地裁八代支部で無罪の判決が言い渡された。その判決の確定により免田さんの冤罪が明らかとなった。拘禁生活は実に23歳から57歳までの34年6か月にも及んだ。

 免田さんの人生の最も輝かしいはずの時間が、国家権力によって奪い取られたということである。その期間、単に身柄を拘束されたということだけではなく、毎日が死と隣り合わせの恐怖との戦いであったことを思うと、その苦しみ、苛立ちは筆舌に尽くし難いものであったことは間違いない。

 私が免田さんの立場であったら、免田さんのように強く権力に立ち向かうことができたかを考えると全く自信がない。


 〈人間に味あわせてはならない最高の悪〉
 

 死刑確定判決で冤罪であった例は、周知のようにそのほかにも財田川事件の谷口繁義さん、松山事件の斎藤幸夫さん、島田事件の赤堀政夫さんの例があり、現在も袴田事件のように冤罪であるとして再審を求めている事件がある。

 死刑判決でなくても、足利事件の菅家利和さんのように無期懲役の判決を受け17年余の間無実の罪で服役させられ、布川事件の桜井昌司のように同じく無期懲役の判決を受けて29年間も服役させられた例など枚挙に暇がない。

 冤罪はなぜ生じるのか、日弁連は冤罪原因究明のため第三者機関の設置等の対応を提言しているが、実現の見通しは立っていない。

 免田さんは、生前、朝日新聞岡田将平記者の取材時に、「しかし、よか人生送りました。」と呟いたことがあったという(朝日新聞2020年12月6日)。免田さんは、無罪釈放後、冤罪事件の支援や死刑廃止運動に携わり、2007年には国連本部でその訴えをしたという。そのようなことができたのも、釈放後良き伴侶を得その支えがあったからではあろうが、その人間性は、人間最大の苦難を「よか人生」と受け止め得る崇高なものだったと驚嘆する。

 免田さんは、己のつらい境遇を力に変えて人生を生き抜いたが、その辛さは通常人なら叩きのめされるような艱難であり、絶対に、人間に味あわせてはならない最高の悪である。



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