司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈なぜ、制御しなかったのか〉

 

 このような余りにも明白な違憲の規定が国会を素通りし、最高裁判所も、日弁連も、憲法学者も、故意か過失かは分からないがこれを制御しなかったのは何故なのであろうか。

 

 私は、以前にも記したが(拙著p8以下)、先進諸外国では陪審・参審という素人の裁判参加が長い歴史をもって行われているという事実認識、国民が参加すれば民主的になるという単細胞的発想、裁判官のみが国民の選定という民主的概念からは離れた位置にあるとみられることなどが多層的に影響し、それ故にこの15条の定める手続原理が等閑に付されてしまったのではないかと考える。それはまた、大法廷判決の前記複合的解釈手法として取り上げられていることにも繋がったと考えられるものである。

 

 改めて言うまでもなく、諸外国の中には陪審或いは参審と称される制度があることは事実であるが、そのことが当然に司法への素人参加を是認し得る根拠になるものではない。もしそれを根拠としようとするのであれば、それらが、国家における司法の本質的な使命を全うするための適切な制度であるか否かが十分に検討されて制定されたものかの考察を怠るべきではなく、且つそれら各国の制度の実態、制度内容の変遷、制度の抱える問題等について、その国の一般国民、学者、担当者らからの意見の聴取等の詳細な調査がなされなければなるまい。

 

 また、国民参加が即民主的と言えるかの検討及び司法が民主化することの問題性等についての慎重な検討も必要なのである。

 

 

 〈できるだけ早い制度廃止を〉

 

 以上に述べた論理は、従来の微温的権限しかなかった検察審査会が、2004年5月の改正により、起訴議決制度の採用によってその微温性は消滅し、第2の検察庁としての権力を有するものとなった以上(この問題については拙著p183以下参照)、検察審査員をくじで選ぶことの違憲性にも関係する。しかし、ここではその点には触れず、問題の指摘に止める。

 

 今や裁判員制度は国民からそっぽを向けられる存在になった。元々国民がかかる制度を作らなければならないと叫んでできた制度ではなく、前述のムード的な勢いに乗って、日本の刑事司法の大変革であるにも拘らず、極めて粗雑な審議で、国会で成立してしまった、出来の良くないムード歌謡曲みたいなものであれば、早々に不人気になり廃れるのは当り前である。

 

 良識ある国会議員を含め、多くの人々が、この公務員任命の手続的原理を定める憲法15条の趣旨その他裁判員制度の抱える諸問題に思いを致し、できるだけ早く裁判員制度廃止の声を上げ、国民と被告人を守る動きを始めてほしいと強く念願している。



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