司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 
 〈単なる現象とその評価だけ〉

 マスメディアの検証関連記事内容は、前述のとおり制度自体への批判は全くなく、裁判に市民感覚が取り入れられたか、裁判員の負担は過重なものではなかったか、裁判員の経験は国民に共有されたか、守秘義務に問題はなかったか、これまでの裁判官裁判との間に裁判に変化が見られたかなどであり、制度運用上の問題意識をもって提示されたものは、裁判員候補者の辞退率の上昇、参加率の低下が重大なものとして受け止められていた。

 朝日新聞の「社説」(5月20日)では「運用はおおむね順調といえる」と評価し、河北新報(5月17日)は「職業裁判官と共に市民が裁判に参加する意義は大きい」として、公判重視、量刑の変化を裁判員制度の「成果の表れ」と評している。産経新聞(5月20日)も「主張」において「制度開始からの10年はおおむね順調に推移し、十分な成果と評価すべきだろう。~最大の成果は量刑の変化である。」と記す。それらには司法審の制度提言に見られた前述の検討事項についての記述は見られない。単なる現象とその評価のみである。

 特に多いのは、これまでの裁判と比較して、刑事裁判において公判中心主義と直接主義が行われるようになったこと、裁判が分かり易くなったこと、録音録画の義務化の流れができたこと等従来の裁判との変化の指摘である。



 〈制度が国民の意識を変えるという発想の結末〉

 裁判員裁判になったことによって従来の刑事裁判とどこがどう変わったかということを数字を挙げて説明をしても、その変化は裁判員裁判でなければ生じない変化か、国民参加を必要とする変化なのかという検証は必要である。ただ変化が見られたから裁判員制度は良いものだなどと言えるはずはない。

また、裁判員経験者の感想を聞いたり、その後のその経験者の人生の変化を追跡したりしても、それによって司法が変わり法曹が変わったか、変わったとすればどのように変わったか、それは裁判員参加と因果関係があるか、裁判員参加がなかったら実現できないことか、の検証が必要であろう。

 前述の河北新報の「裁判員裁判東北の10年 第1部」では、青森市の裁判員を経験した牧師の経験談を載せている。その中で、現在出席率の低下傾向が続いている中で、同人は「選挙の投票率が上がらないのと根は同じ、自分の生活がいっぱいで煩わしいことや面倒なことに関わりたくないと、しらけてしまっている」との指摘を記している。


 彼一人の感想と受け止めるかどうかは別として、この10年の間に、国民に公共意識が醸成された、統治客体意識が薄らぎ、過度の依存体質から脱却し能動的姿勢が強められたと言えるかという点については、答えは少しも変わっていないことの一つの例証にはなろう。

 司法審の提言が、国民の意識を取り上げて、これを裁判員制度で変化させるなどという発想が土台奇妙奇天烈なことであった。



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