〈独立性を損ねる政治権力の介入〉
会議法3条は、「日本学術会議は、独立して左の職務を行う。」として、1号に「科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること」、2号に「科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること」と定める。
その規定にある「独立」という定めは、司法権の独立(憲法76条3項)同様、その組織の自主的な判断に基づいて何人の指示に基づくものでもないということである。独立を侵害する可能性のあるものは数多くあり得る。特に、最大のものは政治権力であろう。
学術会議が自然科学、人文・社会科学のいずれの分野に属するものであっても、その審議・実現に政治は一切介入できない。仮にその構成員の人選に政治が介入し得ると解すれば、その会議で審議される重要事項は政治権力の意に沿うものになり学術会議法設置の趣旨に反することになることは必至である。つまり構成員の人選に政治権力が介入することは、学術会議の独立性を根本から損なうということである。
1948年7月公布の会議法は、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学会と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」との前文を置いている。科学は、ひたすら真理に奉仕することを目的とする。その科学者の総意は、ときに、時の政権の意に沿わないこともあろう。それを百も承知の上で、日本国憲法施行後1年余のうちに、国民は政治に多様な意見を吸収して行うべきことを制度化するという叡智示したということである。そこには、学問の分野が戦争に協力させられた苦い歴史的経験があるとされる(元学術会議会員増田善信氏発言。朝日新聞2020年10月19日)。
学術会議会員は、前述のように、同会議の独立性により同会議が選考し推薦することとされているものの任命であり、その行為に内閣総理大臣が適否を判断し任命拒否に出ることは、会議法7条3項に違反すると解さざるを得ない。
〈裁判員の選定は民主的正統性を有するか〉
ところで、私は、先に「国民の公務員選定権(憲法15条)と裁判員選任~裁判員の民主的正統性について」と題する論考を書いた(拙著「裁判員制度は本当に必要ですか」花伝社122頁以下)。そこには「憲法が下級裁判所における裁判担当者の国民による公務員選定権の行使手続きとして憲法80条1項を定めている以上、その手続きを踏まえたものでない者が裁判に関与することは禁じられているのであり、裁判員法の定める……手続きは憲法15条の求める民主的正統性を備えたものとは到底言えず、違憲であることは明らかである」と述べた(同書128頁)。
同稿で述べた趣旨は、まず、裁判員というのは下級裁判所裁判官であるということ、そうであれば憲法80条の手続きに従って内閣総理大臣の任命という民主的正統性を付与する手続きが必要だ、そのような手続規定は裁判員法には定められておらず、また、現実問題としてそのような手続きを経ることはできないから、裁判員制度は憲法上認められるものではないという、裁判員制度反対の一論拠として述べたものである。
公務員の任命行為が、形式的にしろ、実質的にしろ、正しく行われることは、国家が正しく運営されるためには不可欠なことである。その任命行為が全く行われなかったり、間違った運用がなされたりする場合には、それは民意を損なう非民主的なものとして排除されなければならない。
今回の菅総理の学術会議会員任命拒否行為は、前述のとおり明らかに同法に違反するものであり、正されなければならない。また同様に、現行行われている裁判担当者としての正当な任命形式を取り得ない裁判員なるものの参加した裁判は、関与しえないものの関与した違法な裁判であって、即刻廃止されなければならない。