〈憲法76条3項の「法律」とは「合憲の法律」〉
憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定める。一方、憲法81条は「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と定める。即ち、憲法76条3項に定める「法律」は、当然のことながら合憲の法律を意味する(宮澤俊義コンメンタールp605)。
最高裁大法廷2011年11月16日裁判員制度判決(以下「大法廷判決」という。)は「憲法が一般的に国民の司法参加を許容しており、裁判員法が憲法に適合するように法制化したものである以上、裁判員法が規定する評決制度の下で、裁判官が時に自らの意見と異なる結論に従わざるを得ない場合があるとしても、それは憲法に適合する法律に拘束される結果であるから、同項違反との評価を受ける余地はない。」(下線は筆者)と判示する。この判示も、憲法76条3項に定める「法律」は「合憲の法律」であることを前提としている。
しかし、そこで論じられなければならないことは、そのような形式論ではなく、裁判員法によってくじで選ばれた一般市民の直感的判断によって内閣任命にかかる裁判官の判断が左右されることがあっても良いのかという制度の根幹に関わる憲法問題である。その判断を経ずに、裁判員法は合憲だなどと判断し得る筈はない。本稿はその大法廷判決の判断の論理の不当性を指摘しようとするものである。
〈裁判員制度合憲の論理〉
大法廷判決が「憲法は国民の司法参加を許容しているものと解され、裁判員法に所論の憲法違反はないというべきである」と結論付け、その理由付けとしていわゆる複合的解釈手法(笹田栄司「ジュリスト1453号」P10)を用いている。その解釈の要素として同判決が掲げているものは、「憲法が採用する統治の基本原理、刑事裁判の諸原則、憲法制定当時の歴史的状況を含めた憲法制定の経緯及び憲法の関連規定の文理」の総合的判断にかかるものという。
ところで、その前提のもとに、大法廷判決が取り上げている事項は何か。その要点はつぎのとおりである。
① 刑事裁判権の行使が適切に行われるよう種々の原則が確立されていること、その中には「裁判官の職権行使の独立」と身分保障について周到な規定を設け、刑事裁判の基本的な担い手として裁判官を想定していること
② 歴史的・国際的な観点からは民主主義の発展に伴い、国民が直接司法に参加することにより裁判の国民的基盤を強化し、その正統性を確保しようとする流れが広がり陪審制か参審制が採用されていること
③ 憲法制定時に同法32条の文言を「裁判官の裁判」から「裁判所の裁判」へ表現を改めたこと
④ 憲法第6章において下級裁判所について裁判官のみで構成される旨を明示していないこと
ところで、上記の指摘は、憲法・法令という基本的に一定の意味を有する言葉によって表現されている事柄についての解釈に言葉以外の事項を持ち込もうとすることであり、その解釈の手法は極めて危険を伴うものである。なぜならば、その解釈の複合性から、どの範囲の要素を考察の対象とするかによって如何様にも結論を左右させることができるからである。