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 〈くじで人選は「選定」でない〉

 

 最高裁判所は、前記大法廷判決においては憲法15条の存在には思いを致さず、また、80条1項を曲解し、且つ憲法第6章の裁判官を裁判所法に定める裁判官を指すものと誤って解し、前記大法廷判決を導いた。軽率の謗りを免れないと言わざるを得ない。

 
 宮沢教授は、15条に規定する選定とは、任命と選挙に大別されるとする。無作為抽出、つまりくじで人選することは、選定には含まれない。考えてみれば、これは当然のことである。無作為抽出する、つまりくじで選ぶということは、西野喜一教授が早くから指摘しているように(「裁判員制度の正体」p97)、結果がどちらに転んでも構わない場合に行われるものだということである。

 

 裁判担当者は「その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」べき者であり、その職務、つまり裁判という国民の生命、自由、財産を左右する行為を担当する公務員であれば原則的に国民全体とも称し得る選出母体から無作為にくじで選ぶなどということは、裁判は結果がどちらに転んでも良いと考えなければ許されないことである。

 

 憲法15条の「選定」には、憲法は、第6章に定める任命形式以外のもの、くじで裁き人を選ぶなどということは全く考えていなかったのである。80条1項の任命形式は、全ての下級裁判所裁判担当者について厳守されなければならないことである。

 

 

 〈裁判官としての適格性〉
 

 憲法76条3項が、前記のとおり憲法32条に定める国民の人権を守ることを職責とする裁判所の構成員として裁きを担当する者の資格能力要件を定めているのは、国民がその基本的人権として、民事にしろ、刑事にしろ、裁判を求める或いは求められた場合に、最も望ましい裁判をするについての適格性を備え、それら裁きを担当する者は国民に対し責任を負うことのできる者であるべきだという裁判担当者像を示しているということである。平たく言えば、国民の誰もが安心して裁判を任せられる者の資格、能力要件を定めているのである。

 

 選定ということには、選ぶ者の意思と判定を当然の要件とする。くじで選ぶということは、意思も判断も入りようがない。人を裁く者を選ぼうとするときに、国民に、或いは国民から委ねられた者によって、その選ばれる者の能力適性についての判定、選ぼうとする意思の及ばないものでも良いなどと言える筈がない。



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