〈「付記」のなかで触れた「苦役」〉
小清水弁護人は、そのあとに「付記」として、いかなる意図を込めたものかは理解の限りではないが、「本件裁判に関わる関係者全員の立場(義務、責任、任務)について述べる」と切り出し、「被告人の義務」「日本国の責任」「裁判員の責任」「正規裁判官の責任」「当弁護人の任務と責任」「控訴審裁判官の責任」なる標題で意見を述べている。
小清水弁護人は、前記のとおり上告趣意を限定することを明示した後の付記中に、裁判員となることは「多種多様の法的制裁(過料など)をちらつかされての義務として押し付けられた『苦役』であったのである。この『苦役』とは、憲法18条の『何人も・・・犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない』における『苦役』と同じ意味内容である。したがって裁判員たちが、仮に憲法違反の認識を抱いていたとしても・・・参加の拒否という実行行為に移す勇気や決断がなかったことは優に推察できる。」「当弁護人の心はずきずきと痛み続けた。仕事への悪影響、収入の減少、就職活動への妨害、自分自身の病気、負傷、精神不安、家族の介護。このような辛く苦しい回答書を裁判所へおずおずと返送した多くの人たちに『お気の毒ですね。不運ですね』という深い同情を覚えた。このようなことからしても、千葉地方裁判所の裁判員たちに憲法違反の責任を負わせることはできない。」と記述する中で「苦役」という表現を用いただけであり、裁判員制度は裁判員に苦役を強いるものであって憲法18条違反である、よって原判決は破棄されるべきである、などとはどこにも記してはない。上告趣意補充書にも記してはいない。
〈検察官答弁書でも言及なし〉
また、小清水弁護人がその上告趣意書中で憲法76条3項を引用している部分は「上告理由の第一次的主張として、このような『裁判員』となる者が評議評決に加わった『裁判』は、憲法が許す『裁判所』による『裁判』ではなく、刑事訴訟法第377条第1号に該当し、同法第405条第1号の定める事由となるということ」と主張し、その理由中の「不当評決への対策」のタイトルの項目の中で、「また、本職であり専門家でもある正規裁判官の立場から見て、あるいは従来の判例に照らして、評決結果がいかにも不当である場合には是正の道を正規裁判官に与えなければならない。そうでなければ、正規裁判官の役割がないことになるし、また、憲法第76条第3項の下記規定が画餅に帰するからである。『すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される』・・・この点でも『裁判員制度は憲法違反』の結果を惹起する。」という形で述べられているものである。
憲法76条3項違反を上告理由として取り上げるのであれば、何故それがその憲法に違反するかの詳細な根拠づけが必要であるのに、弁護人としては上告趣意とする意思はなかったから、その根拠づけは一切していない。
弁護人としてはそれを裁判員裁判が憲法80条1項違反であるとの上告理由の一つの根拠事実として述べているに過ぎないものであって、前述のとおり「憲法80条1項本文前段の『正規裁判官』の任命制度と裁判員法の『裁判員』の選任制度との齟齬矛盾の問題だけをとりあげるにとどめる」と態々断り書きをし、裁判員制度は「違憲のデパート」と言われるほど多種多数の憲法問題、その中には当然に憲法18条違反、憲法76条3項違反の問題もあるけれども、それらは上告理由とはしないと態々明言しているのである。
それ故、小清水弁護人が上告趣意書中で「苦役」という言葉を用い、憲法76条3項に絡めて「裁判員制度は憲法違反」との表現を用いているからといって、最高裁としてはこれを上告理由として取り上げるなどということは許されないものである。
現に、小清水弁護人の上告趣意書に対する検察官三浦守の答弁書の内容も、「第1 憲法第80条第1項に違反するとの主張について」「第2 憲法第76条第2項に違反するとの主張について」と題して意見を述べているだけであって、憲法18条違反の点、76条3項違反の点などには全く触れていない。
本件では、偶々検察官側に有利な判決が下されたから表面化することはなかったけれども、仮に検察官敗訴という事態になっていれば、上告趣意書が最高裁の掲記するものが正当なものだとすれば、この検察官の答弁は、上告趣意を曲解したか、一部を欠落させたか、いずれにしても著しい職務怠慢が指摘されるべきものであったであろう。