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 〈制度でなく裁判員が悪いとした判決〉

 

 私外1名の弁護士が原告代理人を務めた、裁判員経験者を原告とする福島地裁での国賠訴訟の2014年9月30日付判決については、私は、以前にも批判意見を書いた(拙著「裁判員制度はなぜ続く」60頁以下)。その中でも触れた「憲法13条に規定する公共の福祉とは?」というテーマについて、舌足らずの点があったので、ここにその補充をさせていただきたい。もとより不勉強なので、十分な補充になるかは心許ないが。

 

 その判示中にはつぎの文言がある。

 

 「真摯に裁判員としての職務を遂行しようとしたが故に、本件裁判員裁判の審理・評議・評決に参加したことにより重い精神的負担を強いられ、その結果、不眠等の体調不良が継続し、急性ストレス障害を発症した」
 「憲法は一般的には国民の司法参加を許容しており、憲法の定める適正な刑事裁判を実現するための諸原則が確保されている限り、その内容を立法政策に委ねていると解される。そうであれば、国民に一定の負担が課されることは憲法の予定するところであって、その負担に必要性が認められ且つその負担が合理的な範囲に留まる限り、憲法の定める苦役を課したことには該らない」。

 

 そして判決は、結論として、裁判員としての職務を誠実に務め、その結果、眠れない夜が続き体調不良になっても、それは合理的範囲の国民の負担である。裁判員制度が悪いのではない、自分の体調のことも考えずにまじめに裁判員の仕事に取り組んだのが悪い。仕事が大変と思ったら、なぜ途中で辞任の申立てをしなかったのか、辞任の申立てもしないで具合が悪くなったのは、悪くなった本人が悪い。この福島国賠訴訟とその一連の上訴審判決の結論は、表現は異なるけれども要するにこういうことである。

 

 裁判員となることは、制度上原則強制であって、国民が好き好んでやる仕事とは定められていない。この障害を受けた裁判員も、10万円の過料の制裁をちらつかせられなかったら、裁判員はご免被りたいという方だった。それなのに、裁判員になったのが悪い、途中で辞めなかったのが悪いと言われては、立つ瀬がないではないか。この判決は、裁判所とは所詮そのような本質を有するところであり、弱い者を救ってくれる、まじめに働いていれば必ずそれに報いてくれるなどというところではないということを見せつけたのである。

 

 国家が権力をむき出しにする場面では、裁判所は、国家権力の強力な味方になりこそすれ、その相手方に手を貸すようなことはしない。その意味では実に冷酷非情である。

 

 単に裁判員制度だけではない。沖縄の普天間基地の辺野古への移転問題、原発問題なども、押し並べてその体質を諸に出してくる。

 

 このように考えてくると、国民にとって裁判所とは何ぞやという前に、国家とは何ぞやとどうしても問いたくなる。



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