〈はじめに〉
裁判員の出席率(出席を求められた者に対する出席者の割合)の低下、辞退率(被選任者に対する辞退者の割合)の上昇が、裁判員制度の継続を望む立場の者から懸念されている。裁判員法成立直後から、裁判員にはなりたくないという国民が約8割にも達していたことからすれば、かかる国民の消極姿勢は当然と言えば当然のことである。
今年作成された裁判所のポスターには、「裁判員制度10th」の0の数字を日の丸のように赤く染め、その中に「非常によい経験と感じた57.3%」「よい経験と感じた38.4%」と白抜きで書かれ、その下に「裁判員を経験した国民の皆様の実感です。」と、また右肩には「やってみてよかった」と記されている。締めくくりは、「皆様の裁判員裁判へのご参加をお待ちしております。」とある。
違憲のデパートと称され、例の大法廷判決によってもいささかも違憲性が払拭されない制度の推進広告を庁内に貼っている事実を見ると、日本の司法は自らが今抱えている病に全く気が付いていないのではないかと改めて思わされた。
〈裁判員経験による心境の変化〉
裁判員になる前には裁判員にはなりたくなかったけれども、実際にその職務を担当してみれば、やってよかった、よい経験になったと感じる人が圧倒的に多いのだから、その裁判員としての貴重な経験を広く国民に知らせる機会があって然るべきだとの立場から、裁判員法の守秘義務規定を改正し、より緩やかな義務規定にすべきだとの意見がある。
裁判員経験者や弁護士などでつくる「裁判員経験者ネットワーク」のメンバーが、今年6月、東京霞ヶ関の司法記者クラブで会見し、裁判員の守秘義務を緩和する必要性を訴えたことが報じられた(弁護士ドットコム)。前記のネットワークとは別に、厳しい守秘義務が国民の裁判員となることについての抵抗感、嫌悪感に繋がっているとして、裁判員制度の効果ある広報は、経験者自身が日常生活の中で語ることだと早くから力説している学者もいる(四ノ宮啓、NHK on LINE 2016.6.22 視点論点)。
この裁判員の守秘義務緩和の動きに関連して、まず、裁判の評議の秘密の必要性について考えてみたい。
〈裁判官の評議の守秘義務〉
裁判所法75条は、(第1項)「合議体でする裁判の評議は、これを公行しない。但し、司法修習生の傍聴を許すことができる」、(第2項)「評議は、裁判長がこれを開き、且つこれを整理する。その評議の経過並びに各裁判官の意見及びその多少の数については、この法律に特別の定めのない限り、秘密を守らなければならない」と定める。その趣旨は合議体を構成する裁判官として忌憚なく意見を述べさせるためであるとされる(裁判所法逐条解説下巻p79、法曹会)。
合議体内での裁判官の意見の対立を公にしないことによって裁判の威信を守るということも考えられるが、最高裁の裁判では各裁判官の意見の公表が認められている(裁判所法11条)ことから、そのような威信の保守は理由にはならないとされる(同著p73)。
裁判員の守秘義務の基本的目的も同様であるが、裁判員についてはさらに裁判員自身の安全の保護、事件関係者のプライバシーの保護、裁判の公正や信頼の確保の目的があると説明されている(裁判員ネット)。